はじめましての方へ。自己紹介 | 鈴木あおいの色読み*HSPが幸せに生きていくヒント*カラーセラピー*水彩イラスト

鈴木あおいの色読み*HSPが幸せに生きていくヒント*カラーセラピー*水彩イラスト

繊細さはギフト*HSPが感性を活かして、自分らしく、しあわせに生きていくためにメッセージをあなたへ◡̈*
✳︎水彩イラスト
✳︎カラーセラピー
✳︎30代共働きと子育て(5y Boy)

自己紹介ページにお越しいただき
ありがとうございます*
 

このページでは、
私が自分を理解しないまま
生きていた時期を経て、
今では絵を描いたり、色読みを始めて
自分らしい人生を歩めるようになった
経緯を紹介します*


ちょっと長くなるのですけど、
わたしが自分を見失ってから、
本当の自分で生きるようになった
変容の過程が、
誰かにとっての希望になれば嬉しいです^^



𓈒 𓏸 𓐍  𓂃 𓈒𓏸目 次 𓈒 𓏸 𓐍  𓂃 𓈒𓏸 

⒈自分を活かすことが怖い。
始まりはショックな出来事から。


⒉環境の激変。
自分より仕事を優先してた時期


⒊変わりたい。
まずは自分を取り戻すことから。


⒋人に色を感じるようになったとき


⒌再び起きたショックな出来事


6.ソウルメイトとの出会い。
最後の苦難と覚醒。


7.幸せに生きることは、
自分を知るための終わりない旅

𓈒 𓏸 𓐍  𓂃 𓈒𓏸 𓂃◌𓈒𓐍 𓈒 𓈒 𓏸 𓐍  𓂃 𓈒𓏸 𓂃◌𓈒𓐍 𓈒

 
 

⒈自分を活かすことが怖い。

始まりはショックな出来事から



今でこそ、色読みや絵をライフワークに
人生を楽しめるようになったわたしですが、
今に至るには辛い出来事をいくつか
乗り越えてきました。


ひとつめは社会人成り立ての
20代前半での出来事です。


私は大学を卒業してすぐ、就職しました。
 

大学では教育学や社会学
心理学など人文系を広く学びました。


勉強も好きでしたが
机に向かって研究するより
現場で行動する側になりたいと思い、
いろんな経験が出来そうな事務職に
就職しました。



就職してすぐ、上司から誘われ、
新規事業の立ち上げに携わりました。


自分なりに分析や調査を重ねて、
社内でのプレゼンも任せてもらい、
事業の採用が決まりました。


、、、と、ここまではよかったのですが。


いざ事業を始めようとすると
事がスムーズに運びません。


実は誘ってくれた上司が
パワハラ気味な女性で。。


次第に事業が孤立し、
他部署の人と揉めたりするように。


新人だったわたしも
段々と上司のやり方に
疑問を持つようになった頃。。



パワハラがエスカレートし、
わたしにも矛先が向くように。


ついに耐えれなくなったのは、
入社して三年目の春でした。


あの日のことは今でも忘れません。


朝起きて、
“あ、今日仕事に行けない”
って思ったのです。


我慢が溜まった心のコップが
ついにいっぱいに。





すごく悲しくて、泣きたいのに
涙も出なかった。


そこから二か月ほど
会社に行けなくなりました。


わたしが初めて経験した「うつ」でした。


二か月後、パワハラの上司が異動になり、
やっと復帰することができましたが。。


何とか働くことは出来ていたものの、
心は十分に回復していませんでした。


また、パワハラがあったとはいえ、
頑張って進めていた事業を
途中で手放してしまったので、
自信を失い。


仕事をすることが
怖くなってしまったんです。


自分らしく仕事をして
こんなに辛い気持ちになるくらいなら
自分を発揮しない方がマシだと思って、
自分を抑えて生きるようになりました。


それから一年後。


環境の大きな変化が起きました。
結婚と地方への転勤です。



⒉環境の激変。

自分より仕事を優先してた時期




結婚はしあわせなものでしたが、
転勤と重なったため、
変化へ適応するのがとても大変でした。



パートナーとの初めての共同生活。

転勤先での新しい業務や人間関係。


住環境も街中から
海の見える地方の町へと変わり、
冬は初めての雪かき。(!)
慣れるのは大変でした。


けれど、
のんびりした田舎だったので、
海や山といった自然に
癒される時期でもありました。




人間関係も
都会のドライな感じとは違い、
みんなとてもやさしく、
家族のように仲良くしてくれたので、
わたしも仕事でのトラウマを
少しずつ癒すことが出来ました。


けれど、わたしの人生。
20代の時期に大変さを味わうように
設計されているのか。。


転勤して三年目のとき
仕事で大きな変化が起きました。


それは人手不足。


人が急に辞めたり、
採用される人数が減らされたりして
今までより少ない人数で
仕事を回さなくてはならなくなりました。


また、人事異動で
ベテランの先輩方がいなくなって、
責任の重い仕事を任されるように。


仕事が大変になっていた一方で、
その時期は結婚三年目。
そろそろ子どもがほしいな、
と思っていた時期でした。


なかなか子どもが授からなかったので
不妊外来にでも行こうかな、
と思っていた矢先に
それどころではなくなりました。


子どもがほしいというのは
自分の人生の望みですから、
それも大切にすればよかったものの。


そのときは仕事でのプレッシャーに
押しつぶされていました。


また、万一妊娠したら
さらに人手不足になることは
目に見えていたので。。


とてもじゃないですが
そのとき子どもを産もうという
気持ちにはなれませんでした。



けど本当なら、
心にゆとりを持ちながら
妊活したかった。


子どもを育てるのが人生の夢だったので。




その気持ちを我慢することにしたんです。
自分の人生の夢を一旦我慢して
仕事を優先しました。
今思えばこの我慢が一番つらかった。


でも今我慢して頑張れば、
いつか報われるんじゃないかな
と淡い希望をもったのです。



今年は我慢して頑張って、
不妊治療したいことも職場に伝えて
来年異動をお願いしようと思ったのです。



そして実際一年頑張りました。


増えた業務量をこなし、
医療も関係する仕事だったので
毎日緊張でした。
ベテランの先輩方がいなくなり、
他のスタッフのフォローにも気を遣いました。


業務変化のストレスを
あからさまに態度に出す人もいて。。


その頃は私もHSPという概念を
知らなかったので
他人と境界線を引けず、
毎日ほとほと疲れましたね。。


大変だった一年が過ぎ、
ようやく人事異動の季節になりました。


けれど、いざ蓋を開けてみると。。


異動先は激務で有名な職場でした。


異動先を伝えられた時、
泣きました。


そのときとっくに
自分のキャパシティを超えて
仕事していたのですよね。



わたしには無理です、
人事にかけあったけど
全然取り合ってもらえず。



この時初めて
わたしは我に返ったんです。



このような状況になったのは、
もちろん自分以外にも要因はあるけど、
自分の本当の気持ちを
ないがしろにしながら生きてきた
自分にも原因があったのだと。


それに気付いてから、
自分を見つめ直す日々が始まります。



⒊変わりたい。

まずは自分を取り戻すことから。




そのときのわたしは
とにかくこのままではいけないと
直感していました。


自分をないがしろにして、
また仕事をこなすのは
絶対違う、と確信していました。


変わりたい、そう思っていました。


その頃出会ったのが、
繊細さんの本で有名な
武田友紀さんのホームページ。
この頃まだ認知度も低かった
HSPについてを知りました。
(武田友紀さんのHP→繊細の森)



その後山口由起子さんの
コーチングを半年受けて
自分を取り戻すことに専念しました。


まずは自分の感性に従って
好きなことをたくさんしました。


美術展に行ったり。


好きなファッション雑誌を
コラージュしたり。
(仕事に役に立たないものからは
すっかり遠ざかっていたので。。
何年かぶりに買ったのです。)


カラフルなペンで絵を描いたり。




そのうち、学生の頃好きだった
カラーコーディネートや
色彩心理の勉強を思い出し*


気になっていた
カラーセラピーを学んだりしました。




ブログを始めたのはこの時期です。




仕事は相変わらずでしたが、
自分の感性に従って過ごすことで
だんだん元々の
本当の自分を思い出していきました。



⒋人に色を感じるようになったとき



自分らしさを思い出しはじめていたころ
友人と食事に行きました。


ふと友人を見やると、
友人のまわりにふわふわ〜と
オレンジ色の気のようなものを
感じました。


オレンジ色は色彩イメージ的に
“社交”や“協力”のエネルギーがある色。
その友人も確かに、
社交的で親しみやすい性格の持ち主でした。



びっくりしたのですが、
この日からわたしは
人の資質を色で感じるようになったのです。


これが色読みのはじまりです*




自分の力が開花したとき。
それは自分の潜在意識が
切り替わったときでもあって。


現実にも変化が訪れます。


まずは仕事をするのを
やめようと思いました。
今は自分を大切にして過ごしたい
という本音を叶えました。


後先考えず、
職場に伝えた1か月後
なんと妊娠していることがわかりました。


そして、出産、育児をするため
仕事を三年ほど離れました。


三年間仕事を離れたことで、
休養しながら、
自分を見つめ直すことができ、
本当の自分と繋がって
生きることが出来るようになったのです。




⒌再び起きたショックな出来事。



自分らしさを取り戻し、
子ども成長してきたころ、
仕事をどうしようかと考えていました。


そんな時期に、
家族(夫・両親)との間で
とてもショックな出来事が起きました。
どちらも別々の出来事です。


自分らしく生きはじめていただけに
とても辛い経験でしたが、
このとき初めて、
家族から本当の意味で自立しないといけない
という気持ちになりました。



経済的自立も大切だと思ったので、
お勤め仕事を再開することに。



お勤め仕事を再開するのは
とても怖かったです。
仕事に対するトラウマが
完全には消えていなかったので。


でも周りは自分の鏡。
自分の意識が切り替わっているからか、
優しい人々に囲まれて
仕事をすることができました。


もちろんたまに嫌なことも
起きるのですが、
この数年で、人と適切な距離を置く
大切さを学んだので、
対処できるようになりました。


そのうち、
お勤め先のやさしい人々の中で
とても仲良くなった人がいます。


この出会いは、
とても不思議な出会いで、
スピリチュアルな話になります。
魂の出会いだったな、と思います。
(魂の片割れとの出会いでした^^)



6.ソウルメイトとの出会い。
最後の苦難と覚醒。




魂の出会いを果たし、
わたしはより気付きを得ていきます。


今まで心の拠り所にしていた
夫や親といった家族から
本当の意味で自立しました。


自立というのは、
離れるわけではなくて。。


自分という存在がなんなのか、
この世の何物にも(家族にさえ)
依存することなく、
客観的に理解し、受け入れて、
その自分で在ろうとすることなのですね。


それは、魂の自立なのです。



魂が自立し、
今まで起きてきたことの
意味を見出せるようになったころ。。
最後の苦難が起きます。



仕事先で、
世にいうお局さまとの人間関係に
苦しむことを経験しました。。f(^ ^*



非常に辛かったですが、
その出来事をきっかけに
カルマや転生などの世界を学び、
スピリチュアルな世界観を
より理解できるようになりました。



お局さまとの苦難は一年に及び。
とほほ。


とても辛かったですが、
大きな学びの機会となり、
学びを実践していくうちに、
苦しみは終結を迎えました^^
(私自身が異動になりました。)



7.幸せに生きることは

自分を知るための終わりない旅



自分らしく幸せに生きたい。


それは誰しもが思う願いです。


でも
自分らしくって一体何なのか、
それを自分で理解するのは意外と難しい。



だからわたしたちは
人生で色んな経験をするのでは
ないでしょうか^^


嬉しい出来事も
苦難に思える出来事も。


全ての出来事は
自分が何者かを知り、
本当の自分の人生を
幸せに生きるため機会なのです。


自分というのは
両親から生まれた
今世における自分だけでなく。


そもそもの自分自身。
自分の魂という核。


魂そのものを理解して
受け入れ、生かそうと決めることで、
わたしたちは真の意味で
自分らしく幸せに生きることが出来る。


これが様々な経験を経て
わたしが学んだことです*



、、、長い文章をここまで読んでくださり
ありがとうございます!^^



自分を抑えて生きていると、
環境や現実が
自分からかけ離れた方向へ進んでいったり。。


魂レベルで物事を理解しないと
苦難が続いたり、
自分の人生にとって真に大事なことを
気付けないということを
わたしは実体験で学びました^^



この世の次元を超えて
自分や世界を知り、
自分を生かしていくことが
自分らしく生きていく鍵。


なかなか
一足飛びにはいきませんが、
自分の人生の段階に応じて
ひとつずつ丁寧に
自分と世界を理解できたらいいのです^^


それはまるで
終わりのない旅*


このブログに訪れてくださった
みなさんも、
きっと今は旅の途中*


みなさんがますます
自分らしく、より幸せに、
旅を進んでいけますよう
心からエールを贈りますね^^


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