親の責任が大半だと、どっかの市長が発言したそうですね・・・。
今、不登校のお子さんを持つ親御さんの気持ちを考えると、本当にいたたまれません。
昔は不登校なんて許されなかった雰囲気がありました。
病気でもないのに学校を休むなんて、まず親が許さなかった。
だから、学校を休むことを許す親が悪い。
この市長さんはそういいたいのかもしれません。
でも、
「学校を休みたい」
「学校に行きたくない」
「学校に行きたいけどいけない」
こういう子供からのSOSを、ちゃんと受け止める。
どうしたらいいのか、一緒に悩んであげる。
だから子どもも、安心して親にSOSを伝えることができる。
とてもいい親子関係だからできる事だと、私は思います。
確かに、学校なんて誰しも行きたくない時もあるだろうし、
「行きたくないから休む」と、簡単に休めるようになってしまうのは親だって心配です。
そのために、親も色々試行錯誤して、
どうしてもいけない時、
ちょっと背中を押す時、
しかりつけてでも行かせる時の見極める目を鍛えたり、
また、学校を休むならどう過ごすかっていう事も、
情報を集めたり、色々やってみたりするわけです。
フリースクールだって、行ってくれたら御の字で、
中にはフリースクールすらいけない状態の子もいるわけです。
これだけ今、不登校が増えていて、取り上げられるようになった今、
大事なのは、親を責めることではなく、
・不登校児とその家庭の支援
・教育システムの改革
だと思っています。
フリースクールなど、不登校の子が教育を受ける場所の拡充ももちろん必要ですが、
「不登校児が増えている事」の責任を家庭に押し付けるのではなく、
「学校現場」「教育システム」にもひずみが生じている事も認めてほしい。
もっともっと教員の数を増やして、先生一人当たりの負担を減らす
子どもの発達段階に合わせた指導ができるようなシステム
等々、変えていけること、充実させるべきことはたくさんあるはずです。
私は長男が不登校気味になったとき、
学校の先生たちはみんな忙しく、
助けてほしいときに助けてくれなかったと感じたことが多々ありました。
例えば学校にはこれたけど教室に入れない時、
別室で一人で自習させてほしいと学校に掛け合いましたが、
その間見守る先生がいない、部屋がない等々で受け入れてくれませんでした。
加配の先生を付けてほしいともお願いしましたが、
人出が足りないのでできませんと言われました。
学校を責めているわけではありません。
学校側も、もっと寄り添いたい、手を尽くして関わりたいという気持ちは伝わりました。
でも、現実的に他にもたくさん生徒を抱え、やる事がたくさんあるなかで、
不登校児に割ける時間も労力もわずかにしか限られない。
私は長男が朝、学校に行こうとすると体が固まり、動けなくなるたびに長男に失望し、一日の予定を組み直し、学校に欠席の連絡を入れるたびに申し訳なさでいっぱいになり、どこへぶつけていいかわからない気持ちを長男に理不尽にぶつけないように必死で抑え込んで、それでも爆発して叱り飛ばしてしまったこともありました。
そのたびになんて悪い親なんだと猛烈に反省し・・・
本当に精神的に追い詰められる日々でした。
長男が一番つらいという事もわかっていたけれど、親だって辛い。
おそらく、不登校児を抱える家庭は、段階や深刻度にもよるけれど、同じような感じなんじゃなでしょうか。
そんな風にただでさえ精神的に疲弊しているところに、
「不登校は親の責任が大半」だなんて、軽々しく言うその感覚。
もしこの方のお子さんが不登校になったら、きっと簡単に、
「不登校は母親の責任だ!お前が何とかしろ!」っていうんでしょうね。
私も、夫に「甘やかしすぎだ」と言われたこと、今でもずーーーーっと根に持っています。
でも、私は長男が不登校気味になった時に、
ものすごく辛い思いをしたけれど、
あの時長男と一緒に試行錯誤したことは、とても大切な時間だったと思っています。
心無い言葉を投げつけたりして、長男を傷つけた事もあったし、それは間違っていたし、本当に申し訳ないと思っています。
ただ、子供のことをよく見る。
子供が、どういう時に頑張れるか、
どういう時は無理なのか、
何を考えているのか、
何を辛いと思うのか、
一生懸命知ろうとしたこと、そしてそういう時はどうしたらいいのか、一緒に考えた事。
親として、長男にはものすごく色々な事を教えてもらったと思っています。
あの時のことを、長男は「自分の黒歴史」と言っていますが、そんなことはないよと伝えています。
あの時は、自分にできることを精いっぱいやっていたし、一つ一つ乗り越えてきたからこそ、今の自分がいる。
ちゃんと成長する力があるってことを、証明したことになるんだよ、って。
まだ、これからの人生、何があるかわからないし、上手くいかないことだってたくさんあると思う。
けれど、そのたびに一度立ち止まったり、時には休んだり、逃げたりして、心と体を守る事も必要だと思います。
そうしながら、また次に頑張ろうと思えるようになった時、以前の自分より成長していると感じることができたら、それでいいと思うんです。
なんか・・・自分の心のモヤモヤを晴らすために色々書いてしまいました。
全ての子どもたちと、その親たちが、今日も一日、笑顔でいられる。
そんな社会になってくれたらいいなと、切に願います。