ラザニアを作ったの。
むっしゃむしゃ食べた。
美味~
美味しいはうれしい。
幸せだ。
幸せなときには言葉はいらないの
けど言葉が幸せを生んだりもするのだ。
宣言する というのは
意味のある行為だと思う。
する側も、される側も。
きもちを言葉で伝えるというのは、
とても意味のあることだ。
言葉を伝えるときの声のボリュームとか質とかで、
同じ言葉でも意味が変わったりする。
言葉はその人の中身をあらわしてる。
ファッションを見るより、
出てくる言葉を聞くほうが、
その人がどんな人かわかるのだ。
言わなくても当然わかるだろうっていうことが、
まったくずれているのもよくある。
言わなきゃわからない、
聞かなきゃわからないことが、
自分が思うより多く存在してるんだって最近気づいた。
その中で
言っても聞いてもわかりあえないこともたくさんあって、
そういうときは、別にわかりあう必要はないって思う。
わかりあうほうが楽なので、言葉を使ってそうしようとするけれど、
どうしてもできないときは、
もうそのままでいいんだ。
何もかもを受け入れなくても、
何もかもを受け入れてもらえなくても、
言葉は武器にも盾にもなるし、
橋にも壁にもなれる。
大人だから、わたしはもう
そういうふうに、使いこなせる。
そういうふうに、受け止めることだってできる。
昨日は、
言葉について考える、いい経験をしたの。
信じる者は、幸せになるのだ。
こころは海のようだと、
はじめてそう思った。
