
月が好き
それはもう子どもの時分から。
愛してやまない。
夜道はいつも、月を見つめて帰るのが決まりだった。
月。
月が綺麗ですね、の返信で
男の子をはかったりしてた。
今は、
同じものを見て、同じように感じる必要はないって思うけど、
子どもの頃のわたしは、
おそらく今よりももっと
殊更に言葉を重要視していたから、
月はもちろん、恋とか歌とか日常だって今よりももっと観念的に見ていて、
男の子とデートするのだって、同じ感性から出た言葉を使って誘ってくれないとやだって思ってた。
単純で安直で、誰に対しても同じ作用しか齎さない言葉で口説く男は、
脳みそが小さな劣悪な生きものだと思ってた。
今はそうは思わない。
わたしも大人になったのだ。
きれいなものとか、楽しいことは
好きな人と共有したいけれど、
月は、ひとりで見たい。
あるいは、
自分と、ある部分でシンクロした人となら、一緒に見たい。
きっとそういう人は、
人生で何度かだけ、出逢える
わたしは中学も高校も女子校に通っていて、
たったひとり、
とてもすてきな女の子に出逢えたけれど、
あんなふうに一緒に月を見つめることは
この先の人生にはもうないだろうなって思う。
想い出しても、とても甘美だ
17歳で、女の子で、
屋上で月を見て、
歌ったりして、
この先にもしどんなつらいことがあっても、
その想い出があれば生きていけるような気がする。
大学生のときにも、女の子に出逢った。
一緒に月を見たい人ではなかったけれど、花火は一緒に見た。
その女の子は実の父親を性的に愛していて、
そのときにわたしの薬指に光っていた、
初めての恋人から貰った初めての指輪をほめてくれた。
そして、
この世で最も大切なのは思い出だって言った。
思い出があれば生きていけるって。
そのときはわからなかったけど、
今は、そうかもしれないなって、思う。
今みている月は、
新しい月であって
思い出の月でもあるんだ
自分の感性だって、
昔は確実に三日月だった部分が
だんだんまあるくなって、
やがて満月になる。
満月は人を惑わす力があるけれど、
芸術活動に関しては、三日月の棘が鋭いときに何でもやっておくべきだよね
なぜなら、
影響力のある満月は、
三日月のときに人を刺したことのある満月だけだからなのである。