我慢をしていると、自分が何を感じてるかわからなくなっていくらしい。
何が好きか、何が楽しいか、何がしたいか。
感覚が鈍ってわからなくなってしまうのだ。
親には、親の意に染まない本音をいうと、ひどく怒られたり機嫌を損ねたりしていた。
だから本音を言わず、感情を隠して我慢をしていたのだと思う。
それが関係を維持する方法なのだと学習しながら。
自分の本音を出すと、人とうまくいかなくなると思っていたけど、
「話してくれて嬉しかった」と言ってくれる人がいることにびっくりした。
本音を言うことは許可され、むしろ親しみを感じてもらえるのだ。
本音を出したことで離れて行ってしまう人は、私と心を通わせたかったのではなく、
ただ思い通りにしたかっただけなのだと思う。
そのときはそれらのつながりに何かのメリットを感じて、維持することに時間や労力を費やしたけれど、
心が満たされることはなかった。
昔の私は、どの人と付き合ったらいいのかもよくわからなかった。
本当に馬鹿みたいだけど、この人と付き合ったら周囲にどう評価されるのか、というのがえらく気になっていた。
同年代や年下の女の子が無邪気に楽しそうにしているのに無性に腹が立った。
自分が許されていなかった、素直に楽しく振舞う姿に嫉妬していたのだろうと思う。
相手が自分の頼みを聞いてくれない、自分の意見に合わせてくれないときにも悲しかったり腹が立ったりした。
丁寧に断ってもらえれば、いやいやあわせてもらうより、よっぽど気持ちがいいはずなのに。
そんな調子で、人とうまくつきあえるはずがない。
私は自分が好きな人が誰かも気づかず、親しくなる方法もわかっていなかったのだ。