ウチの息子は、わりと博愛・平和主義者で
人間や環境・状況にあまり文句を言わない、人の良いオトコ
‥‥‥なのだけれど、やはり受験というストレスからなのか、最近少しウルサイ
天才小学生にもの申す息子↓
先日もテレビ見ていると
自由な校風の高校で
自由な感じの高校生たちが
自由な高校生活を謳歌している様子が
紹介されていて
コメンテーターの皆さんが
その自由な学校を褒めそやしていた
それを見ていた息子
何かが気に障ったらしく
「オレ、思うんやけどさぁ」
と、始まった
曰く
大体さぁ
自由な校風とか、自由な学校とか
もう『自由』って言ってる時点でそれはホンマもんの自由ちゃうねんな
「ヘーェ(メンドクサッ)」
ホンマに自由やったら、別に自由を謳わなくても全然えーわけやん?
自由や自由やって言ってる時点で、絶対自由ちゃうねん
「あんたの学校、わりと自由やん?」
そうやねん、やからオレはさぁ
もう自由とか言うの止めればえーと思ってるんよな、自由とか言ってるけど、そんなに別に自由にやらせてもらってるワケでもないし
なんか最近は、厳しい校風の中で自由を求めて活動する方が、むしろ自由なんちゃうかと思ってきたんよな
「・・・・・。」
意味が分かるような分からないような
自由を求める哲学者プチヲン(←誰?
)のお言葉を、母なりに解釈してみると
自分の高校生活は自由だったと思っていたのが
結局は受験という名の籠の中での自由であったという事に勉強を始めてから(←最近)気が付いた
思い起こせば、先生達に全て許してもらっていたわけでもないし‥‥‥
テレビで流れていた自由と呼ばれている高校生達、君らも同じだろ
自由と言われて、その範囲の中で泳がされているだけな事に、まだ気付いてないだけだろうよ‥‥‥
それならむしろ、不自由の中で勝ち取る少しの自由の方が、本当の自由と言えるのではないだろうか?
そんな感じ?オザキ?
知らんけど
倫理・政経の倫理が、仕上がってきたのかな?
それとも単なる勉強ストレス?
ま、なんしかオモロイから受験のストレスで少しおかしくなった記録として残しとくワ
2023年もブログを読んでいただきありがとうございました
とうとう息子の大学受験が始まりそうです
中学受験からのお付き合いの皆様
プチヲ時代からのお付き合いの皆様
パリピ時代からのお付き合いの皆様
子宮全摘仲間の皆様
良ければあと少し、お付き合いくださいませ
プチヲ受験が2024で終わっても終わらなくても()2年後に娘の受験もございますが
息子の大学受験まではブログで記録を残したいという目標はもうすぐ達成
できそうです
(よー7年も続いたな)
では、良いお年をお迎えください
あ、年末だからコメント欄開けてみます
何か感想入れていただけましたら嬉しいです