七年前には 拓海 | NECOKICKSによる信濃毎日猫新聞

NECOKICKSによる信濃毎日猫新聞

長野県出身、田舎者ROCKバンド「NECOKICKS」(ねこきっくす) メンバーによる交代制ブログ!!

びっくりしてしまうほどのスピードで夏が過ぎて行っちゃったなぁ。暑い暑いって言ってたはずなのに、夜勤の帰り道はちょと肌寒かった~。びっくりだな~。もう9月だもんね。

小学生の頃は9月といえば運動会だったな。チビだったけど割と足が速かったから、運動会はすごく気合が入ってた!!応援団とかもやっちゃうくらい!!運動会ほど輝けるイベントはなかったなぁ。音楽が苦手だったから、音楽会は小6になってもホースでピアニカ吹いてた。笑 ちなみに小6になると、ピアニカ担当は自分しかいなかった。笑 みんな木琴とか鉄琴の合間に吹いてたから、ピアニカ専門は1人だけだった。母ちゃんどんな気持ちで見ていたんだろうか…と今頃思う。笑

ちょっと話がそれたけど、つまり運動会って最高だ!ってこと!運動会と丁度同じ時期に、二歳年上のお兄ちゃんの誕生日だった。だからいつも運動会のお疲れ会と、誕生日会が一緒に行われてた気がする。あの頃はお兄ちゃんになんでも負けて、悔しくて仕方なかった。遊戯王カードのバトルで負けまくって大切にしてたレアカードを取られた時は、こんなもんいらねーわ!ってお兄ちゃんに投げつけた記憶がある。笑 嫌な弟だなーって思う。笑

お兄ちゃんは野球がすごく上手くて、小学校の時にスポーツ少年団のキャッチャーをやってて、MVPまでとるくらい活躍してた。その頃自分は野球の面白さなんて1mmも分からなくて、ひたすら石を投げて遊んでた。笑 ある日たまたま投げた石がお兄ちゃんの頭に命中して、頭がパックリ切れちゃった時は、もう本当にびっくりした。自分最低だなーと思いつつ。そのせいで出来たお兄ちゃんの小さいハゲをバカにして楽しんでた。笑 今思うと本当悪い子だったなぁって思う。今だに母ちゃんに怒られるのが1番怖いもん!笑 たくー!って怒る母ちゃんの声を録音した目覚まし時計でもあれば、絶対寝坊しない自信がある。笑

中学生になるとお兄ちゃんとも全く話さなくなった。お兄ちゃんは相変わらず野球をやってた。何故かヤクルトの古田モデルのメガネをかけてた。当時の最高のオシャレだったのかな?
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お互い思春期ってこともあって会話することはほとんどなかったな~。たまーに話すくらい。お互い自分の部屋があったから、全く遊ばなくなった。

そしてお兄ちゃんが中学三年生、僕が中学一年生の時に、お兄ちゃんの同級生がギターとベースを持ってうちに遊び来たんだよね。隣のお兄ちゃんの部屋でアンプを通して鳴らしてるのが聞こえて、なんだかわからないけど、めちゃくちゃ興奮したのを覚えてる。お兄ちゃんが中学の同級生でコピーバンドを組むことになったみたい!コピーしてた曲は今でも覚えてるけど、3B LAB. の一期一会 !ねぇねぇあの曲なんて曲?って聞いたのも覚えてる。ものすごいカッコ良くて、びっくりした。自分もいつかバンドやりたいなってその時に少しだけ思った。

だけど、その時自分は、小さい頃からずっと続けてきたサッカーにひたすら打ち込んでた。トレーニングセンターにも入って、県選抜まで行ってやるんだ!って意気込んでたけど、そう、上手くは行かなくて、地区先発の補欠程度の実力だった。めちゃくちゃ悔しかったなー。毎日毎日練習したし、毎週末行きたい場所と行ったらスーパースポーツゼビオでスパイクを見ることだった。本当にサッカー大好き少年だったなぁーと思う。今でもサッカーのボールとか特にスパイクをみるとゾクゾクする!

そして、中学三年になって部活を引退して暇になった!笑 本当に部活しかやってなかったから、毎日部活がないってだけで、本当に暇になった!笑 毎日公園で缶蹴りをしてた。ある時は隣の中学校と抗争みたいになって、一大事になったこともある。笑 でも背が小さかった僕は駄菓子を買いに行かされる担当だったから、特に被害はなかった。でも蒲焼さん太郎とわさび太郎を間違えて買ってきた時はひどく怒られたなぁ。みんなまだ味覚が辛いのダメな時期だったからかな?笑

そんな毎日を送っていたときに、高校生になったお兄ちゃんがあるDVDを見せてくれた。それがこれ!
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グリーンデイのブレット・イン・ア・バイブル!!
本当にめちゃくちゃかっこいいライヴ映像をドキュメンタリーにしたDVD!
これを見たときに、中学生だった僕はお兄ちゃんに、これやりたい!ギター教えて!って言った!本当に本当にカッコ良くて、何回も見たな~。
今でもたまに見ると、うぉー!ってなるもん。笑

前置きがだいぶ長くなったけど、この時、自分がバンドやりたいなって気持ちに本気でなった瞬間だったと思う。
それからはうちの実家にはお兄ちゃんの友達のバンドマンがひたすら泊まりにきた。皆が皆かっこよく見えて仕方なかった。笑 もうお兄ちゃんを含め、バンドマンと言われる人たちみんなが憧れだったなぁー。笑

高校一年生なって、もう頭はバンドのことでいっぱいだった。地元のお兄ちゃんと同じ高校に進学した。この高校に行けば、きっとメンバーが見つかるだろうと思った。しかし、そんなに甘くはなかった。何故か僕らの代は軽音部がめちゃくちゃ不人気だった。やっとの思いで見つけた最初のメンバーがひろきっていう男!
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(左ね)
もう2人きりで色々声をかけたけど、全然メンバーが見つからなくて、もう、絶望的だったなぁ。笑 どうしようって思ってた時にこのひろきってやつの友達がドラム叩けるらしい!って噂を聞き付けた。もうこの際高校が違ってもいいやって思って、思い切ってそいつに会いにいくことにした。
そいつがこいつ。
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そう、!山中こうき!笑
初対面の人に対してものすごく態度が悪くて、ムカついたなー。笑 高校一年特有の彼女とのプリクラひたすら見せられた挙句、スタジオに入った。笑
でも当時、こうきは巷で有名なくらいドラムが叩ける高校一年生だった。今の腕前はどーだかわからないけど。笑

そしてこの三人でバンドを組むことが決まった。メンバーも2人追加されて、高校一年生で組んだバンドがTraffic jamっていうバンド。バンド名が相変わらずダサい。今もね。笑
アカツキのコピーバンドだったんだけど、最高に楽しかったなぁ。今じゃ地元!とか行ってる上田#breakっていう思い出がつまり過ぎてるライヴハウスも1時間以上かけて通っていたから、高校生の僕らからしたら、結構遠かった。笑

そして高校二年生になり様々な事情が重なりこのバンドが解散することになった。そこでも俺とこうきは一緒だった。笑 そして次に組んだバンドがfizzっていうバンド!バンド名が相変わらずダサいけど、結構一生懸命やったバンドだったと思う!笑 このfizzっていうバンドのおかげて、VIOLETZやセンチメンタルボーイズ、THE SNEEZE、CLUTCHO、GEEKS、その他色んな憧れだった人達と高校生にして関わらせてもらえることが出来た。本当に貴重で大切な経験をさせてもらったなぁと思っている。そして何より嬉しいのがその当時出会った人達と未だに繋がりを持てていること。これは本当に嬉しいなって思う。高校生の時から知ってもらえてるんだよ。本当に嬉しいよ。

そして、その後、このFIZZってバンドでテレビ朝日のHジェネ祭りっていうイベントに出ることになった。もうめちゃくちゃイキッてたから、優勝してやる!って思ってたけど、まさかの長野県大会で敗れた。世の中そんなに甘くはないのだと実感した。その時に甲信越大会で優勝したのが遠足日和っていう松本のバンド。めちゃくちゃカッコ良くて本当死ぬかと思った。バンドやめたくなった。笑 今でも密かにファンだし、つづくバンド凄い好きなのは内緒にしておく。片思いに過ぎないから…笑

そして、この時位からライヴハウスで哲平と勇太とよく絡むようになった。
なんだかイケスカナイ奴らだなーと思いながらも、僕からしたら洒落乙な高校に通ってた2人とは友達になっておいた方がゆくゆくは女友達が増えてモテるかもしれない!なんてものすごく不純な理由で仲良くなり始めた。そしていつの間にかにいつか、この4人でバンド組めたらいいね!ってなった。笑 モテたいっていう不純な理由がいつのまにかどんどん綺麗な感じになっていった。笑 今思えば2人とも僕と一緒でただの田舎者だったんだけどね。

そしてこうきと2人で東京に一年早く出てくることが決まった。俺はお兄ちゃんと登戸でルームシェアすることになった。だけど蓋をあけたら、お兄ちゃんプラスお兄ちゃんの友達ケンシロウさんも一緒に住むことになった。この人がこの間のツアーでサポートをやってくれた人。
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そしてその流れで、お兄ちゃん、ケンシロウさん、こうき、僕でバンドを組むことになった。そのバンドがTHE WORKING POORっていうバンド!まぁひどいバンドだった。代表曲のタイトルが アバズレ女 っていうタイトルだからね。個人的はすごく好きだったけども、世間的には受け入れられることはなかった。それなのに、ただ1人受け入れてくれた人がいた。笑 それが今NECOKICKSでスタッフ、マネージャー、ウザい を担当してくれているまめちちだった。何故か毎回ライヴに来てくれた。今思えば不思議だなって思う。笑

そして、兄ちゃんがバンドをやめて実家、長野に帰ることになり、このバンドは解散することになった。ずっと憧れていた兄ちゃんが長野に帰っていく姿は正直切なかったなぁ。やっぱり自分に音楽を教えてくれた人だったから。だからその時に自分はもうちょっと東京で音楽頑張ってみたい!って思った。兄ちゃんは今でもすごくバンドがやりたそうな顔をたまに見せてくる。それでも色んな事情で長野に帰っていったわけで、その分頑張るって言ったら色々おかしいし、カッコつけてる感があって嫌だけど、ただ頑張ろうって思えたことを確かだったなぁ。
その時に東京で勝負したい!!
って思って組んだバンドが今のNECOKICKS!!丁度二年半前くらいに東京の池袋のスタジオVOXで結成した。その時の写真がこれ。
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若いなー。笑
初ライヴを勝手に決めていたんだよなぁ。渋谷eggmanだったなぁ。
その時のセットリストが
Wallking tall
sunny day
fine after cloudy
reason
今じゃ全然やらなくなった曲も含め全部で4曲しかなかった。笑
しばらくこの4曲で活動してた。その時から比べたらだいぶ曲が増えたし、雰囲気が変わったなぁと思う。笑

そらからは本当にあっという間だったなぁ~。気付いたら21歳になってた。焦る間もなかったな~。笑 びっくりだよね。早かった。でもまだまだやり足りないことだらけなんだよね!
まだまだお兄ちゃんがあの日見せてくれたDVDのような衝動が足りないし、高校一年生の頃からただひたすらに続けた来た七年間の成果はまだまだ出てないって思うんだよね。もっと頑張ろうってブログ書きながら思いました。

夜勤明けの勢いで書いたからまとまりもないし、何が言いたいかわからないし、なんか誰も聞きたくないような拓海ヒストリーをつらつらと書いてしまったけど、許して下さい。笑 書こうと思って書いたというよりは、なんか気付いたら書いてたって感じ。多分変に長いから最後まで読んでくれた人は相当な暇人しかいない、ってことにしておくね。ごめん。読んでくれた人が居たなら本当にありがとう。

そんな僕があと2日後
2013/9/12に下北沢SHELTERでワンマンライヴやります!!
嫌でも良い日にしてやる!って思ってる。何にも考えてないある意味。笑 もちろん色んな計画は綿密にメンバーと考えたけど、ハートの部分に関してはもう本能に任せます!!要するにめちゃくちゃ気合い入ってるってことです。それが伝えたかったんです。笑
正直、何人動員出来るかなんてわからないです。普通ワンマンやるくらいのバンドはソールドアウトって形でチケットが売れ切れちゃうほどなのが普通なんだと思う。でも僕らはまだまだそんなレベルじゃないんです。それが今のNECOKICKSなの。だからこそ愛情込めて、等身大のライブをしたい!今からでもまだまだ間に合います。もっと色んな人に見てもらいたいんです。まだまだ売れてないバンドにはその分パワーがあるんだ!って信じてます。そんなパワーがドッカーンってなって、来てくれた人がわ~っていう気持ちになって、帰り道にドキドキしちゃうようなそんなライヴがしたいんです。

もうあとはやるだけ!

長々とありがとう!!

チケットは当日NECOKICKSを見たい!って受付で言ってくれたら、入れるようになってます!!
取り置きをしてくれている皆さんも本当にありがとう!!ちゃんと把握してあるし、有り難みを感じてます。
それでも最後まで色んな人が来れるように、当日券も前売りと同じ料金になってます。わけのわからないシステムでごめんなさい。僕の独断で考えたことだから苦情とか反対意見は僕に言って下さい。笑

皆さん待ってます!!
今までの全てをぶつけます!
七年前の自分!見ておけよ!!笑

ホームページ!!
necokicks.com

9月12日 下北沢SHELTER
HANSODE,HANZUBON tour FINAL ONE MAN LIVE

GUEST BAND
SHIT HAPPENING

NECOKICKS

OPEN18:00/START18:30
前売り¥2000/当日¥2500

まってますよー!!!!