土佐光起筆『源氏物語画帖』の「若紫」。
幼い紫の上が飼っていた雀の子を逃がしてしまったところを、
柴垣からのぞく源氏。
源氏物語は100万文字、今で言う400字詰め
原稿用紙で約2400枚の大長編物語です。
もちろん、書き損じなど加えれば、その数倍は紙や墨が必要です。
当時、紙はとても貴重なもの、スポンサーの後ろ盾無くしては、
そんな大河物語、絶対に書くことはできなかっただろう、
という物理的な環境の検証から、攻めていきます。
藤原 道長は長女の彰子を一条天皇の皇后とさせたのはいいが、
彰子は12才、一条天皇は才女定子の元に入り浸って、
彰子に見向きもしないのです。
当時、定子サロンは教養高く、明るく、
一方彰子の方は暗くさえないサロンだったと言われています。
藤原 道長はなんとしても一条天皇の子を
彰子に生んでもらわなければなりません。
紫式部は彰子の教育係として登用されつつ、
実は一条天皇の定子へ寵愛をスキャンダラスに
語る刺客だったといわれています。
娯楽のない宮中、紫式部の源氏物語は熱狂的
にファンを作っていきます。
彰子サロンの人気上昇にも一役かったに違いありません。
人間の本能からみても
定子に仕えた清少納言の「枕草子」の
情緒的な上品な随筆よりも「源氏物語」の
情念的な物語の方が勝つに決まっています。
もちろん、二人のライバル関係は同時代女性作家という事もあって、
後からつくられたものだと思います。
二人は宮中で遭遇したことはないのですから。
紫式部は清少納言の文を読んでいて、悪口を言っていますが、
清少納言は定子が亡くなって宮中を後にしているので、
源氏物語を読んだかどうかは定かではありません。
藤原道長は定子の兄伊周との権力争いに勝ち、
定子を追い落とすことに成功します。
源氏物語に出てくる若紫は光源氏が少女を
自分好みの女に仕上げていく物語と、
一条天皇とまだ幼い少女彰子を彷彿とさせます。
源氏物語が功を奏したかどうかはさだかでは
ありませんが、
彰子が一条天皇との間に男子をもうけたときの、
藤原道長のよろこびようを、「紫式部日記」に書いています。
藤原道長が画策しなかったら、長編源氏物語は
存在しなかったと思うと複雑な気持ちがしてしまいます。
考えてみれば、世界中の歴史上の芸術作品はほとんど
権力者の依頼のたまものと考えると納得がいきますが。
