暑いですね⁽⁽Q(,,•ω•,,`υ)💦

そして、もう7月ですね🌌
って書いて保存してたら
もう8月になっちゃいました🌻💦


平日 毎日働き始めて 
3ヶ月が経ちました。


6月下旬からは
完全フルタイムになって

ヒーコラヒーコラ
毎日を送ってます🏃‍♀💦



⚝⋆︎*



うちの愛息
りゅうたんを見送ってから
5月で もう4年が経って。

(4年かぁー…
    なんだか 結構経ったんだなぁ…)


4年前には
私が フルタイムで
外に働きに行ってるだなんて
考えられませんでした。


『私は
    もう外で働けないだろう』って
思ってたから

今の状態に
自分でも驚いています。



毎日毎日 タイムリミットがあり
それに追われる
日々を過ごして

自分の時間が
ほとんどなくて💦

ちょっと
さすがに心がパンパンに
なる時もあります。


日々のことや 心の内を
気軽に話せる人も

日常生活にはいないので
なんだか 
心が苦しくなることもあります。



だけど、こんな風に
外に働きに出て
妊娠・出産に
何の苦労もしてないと思われる人達と

アハハ オホホと 
上っ面だけど
フツーに話せる日が来るなんて
思わなかったなー。


職場の人は
私が天使ママだなんて
誰も想像つかないと思います。


いつかのブログでも
書いたけれど

『この人に話したい』と思う人にしか

大切な大切な 
お空の我が子のことは話したくないので
職場では
誰にも話していません。



私は、
産休育休の代替職員として
働いているので

産後の職員の方の手続きをしたり

育休中のその方に
仕事の書類を送ったりしてるんです。


私、ようやってるわなー…と
自分で思います。



今の仕事は
10年くらい前にしていた仕事なので
仕事が少しわかるから
そういう面ではイイけれど。


職場に妊婦さんがいないだけ
まだイイのかもしれない。


けど、1人
男性職員の奥さんが
お盆中に 3人目を出産予定らしく

赤ちゃんが生まれたら
扶養手当に関わる仕事を
私がしなくちゃなんです。
(給与や 福利厚生関係の担当なので)



そういうのも
仕事だから…と 思ってできるけども

さすがに 事務室内のすぐそこで

その男性職員と
他の事務の人が
奥さんの出産について
話してるのは辛かったです。


初めて聞かされた時、

フツーは
『わぁ、おめでとうございます✨』って
言うんだろうけど、

どーーーーーしても言えなかった。


言おうか…?と思ったけど
自分を犠牲にしてまで
心を押さえつけてまで
言えなかった😔


だから、
扶養手当の話に すり替えて
席を立って 
書類を見に行ったりしました。


もーその空間にいるのもムリだし
話に入るのもムリ。



こないだも
その男性職員が
事務室に来た時に

事務の人が話しかけて
そういう話が すぐそばで始まって
すごい逃げ出したかった。


奥さんが
「早く赤ちゃんを出したがってる」って
話してて
(暑いし 重いから、だそう)

ほんと 吐きそうな気持ちになりました。



その発言からは
男性職員も 奥さんも

ちゃんと
予定日まで 元気に
お腹で生きててくれるのが当然だと
思ってるのが 見て取れるし、

赤ちゃんが
無事に生まれるのも当たり前で

無事に育ってくのも
あったり前だと思ってるのが
伝わってきて、

あ、この男性職員と奥さんは 
そういう部分で
何の苦労もしてないんだな って思って。


事務の人も
結構ズケズケと 人のそういうことを
聞くタイプなので

私も
子供何人かとか
男か女かとか聞かれて
かなりゲンナリしました。


コレも
聞かれるたびにウンザリするけど
こう答えようと
答えを準備しておくことで
なんとかやってる感じです。



働きに出るって
そういう可能性がすごくあるのに

私、よく働きに出られたなって
ほんと自分で思います。


こんな状況
平気では 全然無いけど
4年前に比べたら違うなって。

4年前だったら
ズタボロなってたと思う。



ここまで来るのに
4年かかったけれど、

でも 私の場合は
4年間 じっくり悲しんで
辛い辛いって思ったり
怒ったり泣いたり

逃げたり
隠れたりしながら
やってきたから、

こうやって今
外に出て
(仮面かぶってはいるけれど)
出来てるんじゃないかなって思います。


これが
産後すぐに 働きに行ったりしてたら
私は きっとさらに傷ついて
ズタボロになって

4年で 働きに出るのは 
ムリだっただろうなと思います。



だいぶ前の
どこかのブログでも
書いた気がするけれど、

産後 結構すぐに(数ヶ月後くらい?)
働きに行こうとしたことがあったんです。


どう考えてもムリなのに
そうしようと行動したのは

今思えば
死産後の反応の
『過活動』だったんだと思います。



働きに行こうかと思ってた所は
美容整体みたいな所だったので

先にお客さんとして
見に行ってみようと思って
予約して行ってみたんです。


その時に 
どうして来店したのか聞かれたので
正直に答えたんです。


そしたら、
すごい良い反応してもらって

すぐ履歴書送って欲しい!って
言われたから 送ったんです。

でも、めちゃ時間経ってから
不採用の連絡があって😓



その後
何ヶ月も経った後
突然 その人から電話がかかってきて

「なーさんと働きたいのですが✨」って
かなり情熱がある感じで言われて

勤務可能な曜日を
LINEで連絡して欲しいと言われたから

『不採用にしておいて
    今更 エエェー?😓』 と思いつつも
『せっかくだし』と思って

勤務可能な曜日を連絡したんです。


なのに その後
既読はついたまま
待てど暮せど
まっっったく 返信がなかったんです😓


ほんと失礼😑もやもや


なんか
仕事の事を書いてたら
そのこと思い出しちゃったなぁ。



⚝⋆︎*



元々の私は
自己肯定感が低かったし、

4年前は子供を亡くした母親として
自信も 自分への尊厳も
未来も 
何もかも無くなってしまってたから

人から そんな酷い扱いをされて
エ…?と思いつつも
『あれ? 私が悪かったのかな』なんて
思う部分がありました。


だけど、
4年経って
『アレはおかしい』って思います。


年月が経って

『天使ママになった後の 
    あの時のアレ
    やっぱりおかしいよね!?

    私、怒って良かったんだわ…』って

今 思ったりすることが
いくつもあります。



⚝⋆︎*



産婦人科医の池川明先生いわく

流産でお空に帰る子は
お母さんのお腹の中を
体験したくて来る子もいるとか

早く帰ることを
あらかじめ決めて来たとか

お母さんを恨んでる子は
1人もいないってことなんだけど、

うちのりゅうたまは
なんで 命がそんなに短くて良かったの?
と ほんとナゾです。


お母さんのお腹の中で
色々体験できることが
赤ちゃんは嬉しいらしいのですが

うちのりゅうたまは
四季のうちの 一部しか
味わって行かなかったから

そんな短くて良かったのー?と
思ったりします。



なんか
色んな事に
昔より 魅力を感じることも
すごい無くなったなーって思います。


子供の頃からの家庭環境や
学校での環境の色々で

元々 なんか斜に構えた所があったり
冷めた所があったけれど、

それがありつつも
自分が生きる意味や 喜びが
無いように 私は感じてるんだなーって
数日前に思いました。


1回抱えた絶望は
当たり前だけど 無くならないですね。


気の合う 天使ママさんと
顔を見て 声を出して
話をしたいなって思います。


年月が経って
変わったこともあるけれど

何にも変わらないことも
たくさんあります。




今日の 午前中の景色。

雲がすごい。
なんか鳩みたいね🕊