『バケモノの子』(バケモノのこ)は、2015年に公開されたスタジオ地図制作の日本のアニメーション映画。
監督 | 細田守 |
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脚本 | 細田守 |
原作 | 細田守 |
製作 | 齋藤優一郎 伊藤卓哉 千葉淳 川村元気 |
出演者 | 宮崎あおい 染谷将太 役所広司 広瀬すず 山路和弘 宮野真守 山口勝平 長塚圭史 麻生久美子 黒木華 諸星すみれ 大野百花 津川雅彦 リリー・フランキー 大泉洋 |
音楽 | 高木正勝 |
主題歌 | Mr.Children 『Starting Over』 |
編集 | 西山茂 |
制作会社 | スタジオ地図 |
製作会社 | THE BOY AND THE BEAST FILM PARTNERS |
配給 | 東宝 |
公開 | 2015年7月11日 |
上映時間 | 119分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
興行収入 | 58.5億円[1] |
細田守監督による4作目の長編劇場アニメ映画であり、オリジナル作品としては『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』に続く第3作となる。
細田監督のサイン
前作に続き、細田が自ら原作・脚本も手がける本作は、人間界の渋谷とバケモノ界の渋天街を舞台に、親子の絆を描いた「新冒険活劇」となっている[2]。
『時をかける少女』で青春、『サマーウォーズ』で親戚付き合い、『おおかみこどもの雨と雪』で母子愛を描いた細田が本作で選んだテーマは「父と子」[2]。また、それまで長野県や富山県と言った田舎の風景を舞台にしていたが、一転して都市のど真ん中での冒険を描いている[2]。
渋谷の描写が刺さる
宮崎あおい 当時30歳・・・
今どきのヒョロ系イケメンに拒否反応が出て入っていけない。
師匠パヤオの弟子なのか実子なのか
たぶんジブリでの悪夢
2000年8月、スタジオジブリに『ハウルの動く城』の監督として招かれ、東映アニメーションより出向[4]。当時、ジブリでは宮崎駿、高畑勲以外の人物に監督を任せようとする機運が高まり、新たな人材を探していた。そんな中でアニメーションの研究家やライターが気鋭の若手演出家として細田を推薦[20]。鈴木敏夫によれば、スタジオに遊びに来た細田に企画を見せたところ、快諾したので来てもらうことにしたという[20]。制作がスタートして最初の1年ほどは鈴木自らがプロデューサーとして関わっていたが、次第に企画は難航して高橋望にバトンタッチ[25]。その後、スタッフと共に作品の舞台となるイギリスへのロケハンも敢行して2001年12月には東宝が細田守監督作品として正式発表、絵コンテはCパートまで完成したが、2002年4月21日に細田版『ハウル』の制作中止が決まる[25]。その間、2001年に母親が脳梗塞で倒れている[26]。中止に至った理由は公式には明かされていないが、鈴木敏夫は「東映アニメーションとスタジオジブリの制作スタイルの違い」「宮崎駿の存在がプレッシャーになった可能性」を挙げている[25]。その一方で、当時スタジオジブリは『千と千尋の神隠し』も並行して制作していたため、細田が率いる『ハウルの動く城』チームが人員不足に陥ってしまったという説やジブリのベテランスタッフとの意見の衝突説もある[27][28]。細田自身は「映画の構成に悩んでいたが、東映で学んだというプライドや自負が邪魔をして宮崎や高畑にも相談せず、自らの殻に閉じこもってジブリで孤立していった。コンテは行き詰まり、最後は高橋プロデューサーから『細田君、これもう無理だね』と告げられた」としている[8]。また一番辛かったのは、自らスタッフを集めたがプロデューサーの権限がないため何の保証も出来ないまま制作中止になったことで彼らとの信頼関係が壊れてしまったことだとも語っている[29]。
この企画、日テレ方面から降りて来たのをやらされた感じに見える。
広げた風呂敷の畳方で迷ってた挙句のワンピース要素とか。正直バトルシーンは早送りしたいくらい苦痛。恋愛シーンも今どきのテレビ視聴者向けの文法で臭いがきついけど、視聴者側が求めた結果なんで細田監督もその辺で悩んでたのかも。だからと言ってNHKのドキュメンタリー見て検証するほどのもんでもないか。
弟子と師匠が怒鳴り合う流れでかなり冷めて最後まで乗れんかったな。