命美わし : 作品情報 - 映画.com (eiga.com)
製作は「純白の夜」の小出孝、八木隆一郎の原作より「あわれ人妻」の柳井隆雄が脚色し、「純白の夜」の大庭秀雄が監督に当っている。撮影は「夢多き頃」の長岡博之である。出演者は、「海の花火」の笠智衆、三国連太郎、杉村春子、桂木洋子、佐田啓二、「夢多き頃」の淡島千景の他に、小沢栄、坂本武、桜むつ子など。
1951年製作/79分/日本
配給:松竹
劇場公開日:1951年12月7日
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1925年に文学を志して上京し、本屋やポンプ屋などの店員をへて水守亀之助の書生となり、水守主宰の文芸誌に小説を発表、隆鬼堂のペンネームで戯詩も発表する[1]。1927年に母を亡くし、翌年より少年少女小説や童話などの執筆で自活を始める[1]。
プロレタリア演劇運動に身を投じ、1929年より東京左翼劇場所属、同年国民新聞の懸賞小説に入賞、1930年に地下活動に入り、翌年検挙留置、1932年より新築地劇団に所属し日本全国を巡業、1933年には石井漠舞踊団とともに満州にまで巡業した[6][1]。1934年「蟷螂」で戯曲家としてデビュー[7]。
1936年、アイヌを題材にした『熊の唄」を井上正夫の演劇道場で上演し、新進劇作家として注目され[7]、本作は1937年に映画化される[3]。1940年に左翼新劇界の代表格新協劇団と新築地劇団などの演劇人が一斉検挙され、八木も逮捕されたが早期に釈放された[8]。戦時中から今井正監督とコンビを組んだ。
戦後は新派や新国劇向けの脚本を書き、映画やラジオドラマの脚本を手がけた。1953年にはNHK放送文化賞を受賞[1]。1965年脳溢血により死去[1]。1967年、青年期を過ごした五所川原に詩碑が建立された(のちに碑の周辺が造成され八木児童公園と命名)[1]。