妻よ薔薇のやうに - Wikipedia

妻よ薔薇のやうに(iTunes Store):成瀬巳喜男 | アレレの映画メモランダム/休日は映画の気分

妻よ薔薇のやうに』は、1935年日本で公開された日本映画。 成瀬巳喜男監督のトーキー3作目である[1]

 

成瀬巳喜男監督による、新生新派のために執筆された中野実戯曲『二人妻』の映画化作品。 旧来の新派の台本では、独特の登場人物像によりストーリーが固定されがちとなるところを、監督の演出により「新派臭」を取り除いたことなどが評価された[2]。第12回(1935年度)キネマ旬報ベスト・テン日本映画ベスト・テン第1位。

1937年にはニューヨークにてプレミア上映が行われ、アメリカ合衆国で初めて商業的に公開された日本映画となった。英題として『Wife! Be Like a Rose!』あるいは『Kimiko』が使われた[3]

 

監督 成瀬巳喜男
脚本 成瀬巳喜男
原作 中野実
出演者 千葉早智子
音楽 伊藤昇
撮影 鈴木博
編集 岩下広一
製作会社 P・C・L映画製作所
配給 P・C・L映画製作所
公開 日本の旗 1935年8月15日
上映時間 74分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語

 

フル動画

 

 

原作中野実 (作家) - Wikipedia

中野の上京および岡本綺堂への師事については、日本近代演劇史研究会(編)『20世紀の戯曲・II 現代戯曲の展開』(社会評論社)によると[2]、「法政大学中退後、1919年大正8年)に岡本綺堂に師事した」とある。一方、川本三郎『小説家たちの休日』(文藝春秋)では[3]、『岡本綺堂日記』(青蛙堂)から引用をしながら「1923年(大正12年)に上京して綺堂の書生になった」「1925年に風邪が悪化して実家にかえり、1926年に再上京した」と一致しない情報が書かれている。

綺堂家の書生となり、門下生のあつまりである「嫩(ふたば)会」に参加し、戯曲を中心に活動するようになる。

「三十路会」(昭和28年)

中野は自身こそ目立たないものの、その交友関係となると非常に広く、いくつもの親睦会のまとめ役となっている。

そのうちの「三十路会」(みそじ かい)は、中野、伊志井寛小林秀恒(画家)らが提唱し昭和12年から開始され、実際に三十代だったメンバーが参加したもの[14]

メンバーが三十代をすぎても会は続き、「いつまでも三十代の若い気持ちで仕事をしている同志たち」の会となり、また、家庭で仕事を支える夫人を必ず会合に同伴するという、ユニークなものだった。

左の画像は昭和28年にもたれた会合。後列左から、新国劇俳優の島田正吾中野實、挿絵画家の岩田専太郎、映画俳優の長谷川一夫、歌舞伎役者の十四代目守田勘彌。中列左から、中野夫人、島田夫人、辰巳夫人、脚本家の大江良太郎、新生新派の伊志井寛、林夫人、長谷川夫人、伊志井夫人、岩田夫人。前列左から、東京吉本社長の林弘高、新国劇俳優の辰巳柳太郎

その他の会員に画家の志村立美、落語家柳家金語楼、作家北村小松、俳優片岡仁左衛門がいた[15]