カラー化フル動画
あらすじ
日本映画界が本格的にトーキーの時代を迎えた1936年、上原謙を主役に『有りがたうさん』を発表[6]。伊豆の街道をバス1台で走りながら、その中でとられた全編ロケーションでとる手法は、「実写的精神」と呼ばれ、絶賛を浴びる。それ以来、自然の情景の中で演技を発展させる手法を徹底的に追求することとなる。
清水は作為ではない、あるがままなものを好んだため、子どもや新人俳優、大部屋俳優、素人を好んで使った。その流れで、坪田譲治の児童文学を映像化した『風の中の子供』(1937年)、『子供の四季』(1939年)[7]の中で彼の演出技法は、効果的だった。
1933年(昭和8年)日活太秦撮影所に監督見習いとして入社、その後、俳優に転向し1934年(昭和9年)に日活映画でデビューした[1]。
1935年(昭和10年)、離婚歴があり、麻雀賭博や結婚詐欺の疑いで何度も警察の厄介になっている福田蘭童と結婚したため人気は急速に低下した[注釈 3][注釈 4]。しかし1936年(昭和11年)に佐分利信を相手に主演した『人妻椿』は空前の大ヒットとなった。1939年(昭和14年)1月に大幹部となる。
1942年(昭和17年)より病気で休みがちになり、役も小さくなり1947年(昭和22年)に引退。1951年(昭和26年)にカムバックしたが1958年(昭和33年)に完全引退。