藤十郎の恋 - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ | Filmarks映画

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監督

脚本

原作

長谷川一夫

入江たか子

藤原釜足

汐見洋

御橋公

滝沢修

小杉義男

市川朝太郎

中村健峰

小島洋々

 

東宝映画

 

カラー化フル動画

 

 

長谷川一夫 - Wikipedia

藤十郎の恋 1938 に対する画像結果

1937年(昭和12年)、松竹を退社し、東宝に移籍。「忘恩の徒」とマスコミから轟々たる非難を浴びる。移籍の背景には長谷川が最新の設備に惹かれたことと、松竹の扱いに憤慨した母親が長谷川に相談せず東宝との契約書に押印したとの事情も伝えられている[10]。 また、当時東宝撮影所所長であった今井理輔は、移籍の理由として中村鴈治郎の死後、一家に対する松竹の仕打ちが冷淡であったことを挙げたほか、月給が松竹時代より500円安くなっていることに触れ金銭が原因ではないことを示唆している[11]

 

同年11月12日、『源九郎義経』(渡辺邦男監督)の撮影中、撮影所から宿舎へ移動する最中[12]「松竹への恩義を忘れた不徳義漢」との建前で、撮影所出入りの不良少年・増田三郎と、金という男の二人に襲われて顔を斬りつけられ、左頬を貫通する深手を負い、撮影続行不能、映画は中止。「林長二郎暴漢に顔を斬らる!」との新聞見出しに京都中がてんやわんやとなり、この「二枚目映画スタアの受難」は日本全国を騒然とさせた。この事件の裏には松竹の意向があったと噂されている(東宝移籍のいきさつも参照)。

 

事件後、長谷川は怪我を機会に芸名を本名の長谷川一夫にしたいと東宝へ申し入れ、1938年(昭和13年)3月4日、東宝本社がこれを受理[13]。『藤十郎の恋』(山本嘉次郎監督)で銀幕復帰。独自に工夫したメイキャップで傷跡を消し、再起不能とまでいわれた逆境を跳ね返して堂々二枚目スタアに返り咲いた。また、『鶴八鶴次郎』などでは山田五十鈴とコンビを組み、ヒットを飛ばした。そのほか、李香蘭と共演した『白蘭の歌』(渡辺邦男監督)、『支那の夜』(伏水修監督)などといった現代劇に出演したが、時代劇ではこれという決定作は少なかった[14]

 

東宝移籍のいきさつ[編集]

長谷川は1937年に松竹から東宝に移籍を決め、暴漢に顔を斬りつけられるというテロ事件に遭っている。が、長谷川本人はこのテロを特にタブー視していない。

当時、東宝の砧撮影所は、業界でも最新の撮影設備を備え、もっとも進歩的なところであり、上京のたびに長谷川はこれらの機材を見て羨ましく思っていたという。松竹下加茂にも新しいキャメラを入れて欲しいと嘆願したこともあったが、受け入れてはもらえなかった。長谷川は「俳優にとって一番の願いは、いい作品に出演することだ」と語っている。金銭がらみの複雑な歌舞伎の世界がのしかかっていたではあろうが、東宝の新しい撮影機材とシステム、魅力ある企画は長谷川の心をとらえ、移籍を決心させたのである。

しかし、この決心は松竹の心証をいたく悪くしたばかりか、ジャーナリズムを敵に回してしまった。新聞各紙は「忘恩の徒」と書きたて、一斉に長谷川非難を始めたのである。そんな折に長谷川は「二枚目の命」である顔を斬られた[18]

林長二郎を松竹下加茂撮影所から引き抜いた東宝は、『源九郎義経』を早く撮るため、これをわざわざ合併したばかりの京都のJ.O.スタヂオで撮入させた。引き抜きからまだ1ヶ月しか経たないうえに松竹の地元京都での撮影はいかにも刺戟が強すぎた上に、東宝は長二郎の護衛に地元の侠客笹井一家を充てていた。この護衛を着けたことが、結果的にテロ事件を呼んでしまったのである。事件の翌日から、警察は地元の不良少年を片っ端から引っ張ったが、犯人の見当はつかなかった。犯人である増田三郎という撮影所出入りのチンピラ少年を見つけ出したのは、増田と顔見知りだったマキノ正博で、実際に顔を斬りつけたのは増田の身内の金という男だった。マキノは増田を説得し、一週間の猶予を与えて金とともに太秦警察署に出頭させたが、その間にも警察の犯人探しは続けられていて、引っ張られた者の中には当時、新興シネマ常務取締役だった永田雅一[注 1] の姿もあった。マキノによると池永浩久渡辺邦男監督、護衛にあたった笹井組の笹井静一(マキノ正博の義理の兄)も強いショックを受けていたといい、笹井はマキノの問いに対して、この事件の裏に大金を生むスタアを巡った、映画会社のどろどろとした内幕を示唆している。

緊急入院した林長二郎は自戒を込めて何も話さず、この事件を肝に銘じて忘れぬよう、あえて顔の傷を整形したりしなかった。裁判所も「役者の顔は生命」として、実行犯に二年という異例の刑期で実刑判決を下している[22]

「この事件が起こって以来、皆さん、スタアさん、自由にほかの会社に出られるようになったんですよ。テロ以来、ピタッと非難の記事が無くなりました。顔を切られて、再起不能の俳優なのに、可哀そうだという面もあったのでしょう」

犯人検挙の後、長谷川は「背後関係は探ってくれるな」と申し出て事件は一件落着となっている。このいきさつについて、長谷川は次のように語っている。

「ええ、もうよして下さいって言ったんです。背後関係を調べても私の顔が元通りになるわけではありませんし、それに映画界のボロが出るだけでしょう。業界全体のイメージダウンになりますから[18]