暖流 (小説) - Wikipedia

暖流 1939年 松竹 - 日本映画1920-1960年代の備忘録

暖流』(だんりゅう)は、1938年4月から9月『朝日新聞』に掲載された岸田國士長編小説、またこれを原作とした映画ドラマ化作品である。 1938年11月、改造社刊。岸田国士長篇小説集第四巻、新潮文庫ほか。

 

暖流』(だんりゅう)は、1939年に公開された吉村公三郎監督の日本映画[1]。 キネマ旬報ベスト・テン7位

 

当初は吉村公三郎の師匠・島津保次郎が監督することで脚本も完成していたが、島津が東宝へ移った為、監督を誰にするかで、大船撮影所の所長・城戸四郎は迷った。すでに主役に決定していた高峰三枝子の口添えで、城戸は吉村を起用した。ただし吉村が渋っていた戦争映画「西村戦車長伝」を次に撮るという条件付きであった。[2]

 

初公開日は戦前の1939年12月1日で『前篇・啓子の巻』と『後篇・ぎんの巻』の合計3時間で構成されていたが、現存するフィルムを戦後(1947年)に再編集され、2時間4分の短縮版となった。

 

監督 吉村公三郎
脚本 池田忠雄
原作 岸田国士『暖流』
出演者 佐分利信
撮影 生方敏夫
編集 濱村義康
製作会社 松竹(大船撮影所)
配給 松竹
公開 日本の旗1939年12月1日
上映時間 124分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語

 

フル動画

 

 

吉村公三郎 - Wikipedia  

吉村 公三郎

1929年に親戚のつてで松竹蒲田撮影所に助手見習いとして入社した。入社以来、島津保次郎の下で助監督として活躍する。1932年に軍隊に入隊、当時は築地小劇場の手伝いやデモに参加したことから要注意人物とマークされていた。一年後に除隊し、1934年、当時10歳の高峰秀子が主役のナンセンス短編喜劇『ぬき足さし足・非常時商売』で監督デビューするが、評価は低かった。

以降は島津をはじめ、同じく島津門下生の五所平之助豊田四郎成瀬巳喜男の助監督を務めた後、1939年に『女こそ家を守れ』で本格的に監督デビュー。その年だけで4本を監督したあと、5本目として東宝に移った島津保次郎が撮る予定だった岸田國士原作の『暖流』を撮り、新人離れした演出でキネマ旬報ベスト・テン7位に選ばれた。この作品を機に、本作の高峰三枝子や『安城家の舞踏会』の原節子、『偽れる盛装』の京マチ子など主演女優の魅力を引き出す能力に定評があり[4]、「女性映画の巨匠」と呼ばれる。

さらに翌年、上原謙主演の戦意高揚映画『西住戦車長伝』を監督、キネマ旬報ベスト・テン2位に入る。また戦時中は1942年に『間諜未だ死せず』、1943年に『開戦の前夜』といった国策色の強い映画ながら、アメリカ映画ばりのサスペンス調の演出で人気を呼ぶ。1943年10月、撮影中に赤紙が届き、出征。軍隊では機関銃隊の小隊長として南方戦線に派遣され、のちにタイバンコク駐屯の第18方面軍司令部情報部を経て終戦時は辻政信が部長の情報部にいた。

1954年

南方戦線より復員後の1947年、没落する華族の最後の舞踏会を通じて新しい社会の到来を印象付ける作品となった『安城家の舞踏会』を撮り[5]、キネマ旬報ベストワンに輝く。以後、この作品の脚本を書いた新藤兼人とのコンビで多くの名作を制作することとなる。また、1950年には、その新藤兼人と映画製作会社「近代映画協会」を設立し、作品は主に大映で配給された。1951年に『偽れる盛装』で毎日映画コンクール監督賞を受賞している。なお、この年には松竹大船撮影所に見学に来ていた岸惠子をスカウトした[6]

 

以後、1952年には監督した『源氏物語』がカンヌ国際映画祭に出品され、杉山公平が撮影賞を受賞している。精力的に作品を発表し、男女の心理描写に優れた手腕を発揮した。1956年、経営が行き詰った近代映画協会を離れ(新藤兼人の要望で名義だけは残した。昭和40年代、再び近代映協製作映画の監督を務めている)、大映に入社し、山本富士子や京マチ子を主演にした『夜の河』と『夜の蝶』の女性映画モノを脚本家田中澄江とコンビを組んで、大映時代の代表作とした。太平洋テレビジョンの取締役兼映画部長も務めた[7]

 

 

原作 岸田國士 - Wikipedia

岸田 國士(きしだ くにお、1890年明治23年)11月2日 - 1954年昭和29年)3月5日)は、日本劇作家小説家評論家翻訳家演出家

代表作に、戯曲『チロルの秋』(1924年)、『牛山ホテル』(1929年)、小説『暖流』(1943年)、『双面神』(1953年)など。

妹の勝伸枝作家、本名は延原克子で翻訳家・延原謙の妻。長女は童話作家の岸田衿子、次女は女優岸田今日子[2]、甥に俳優の岸田森がいる。

 岸田 今日子 岸田 森

 

 

大正生まれのトレンディードラマ?

この時期の世界情勢で「暖流」というタイトルをつけたとしたら不穏だったりして。

主役の佐分利信が台湾から来て放蕩三昧の本家日本経営立て直し、となると企画の素性が怪しく思える。ラスト高峰が海水で顔を洗うというのも意味ありげ。