花は偽らず (shochiku.co.jp)

花は偽らず

 

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原作 藤沢桓夫 - Wikipedia

大阪市生まれ。旧制大阪高校在学中に武田麟太郎三高)・長沖一神崎清らとともに同人誌『辻馬車』を発刊、1925年同誌に発表した「首」でデビューし新感覚派として目された。1927年大阪高校を卒業し東京帝国大学に入学、在学中は新人会で活動しプロレタリア文学に転向、1930年『傷だらけの歌』を書く。1931年文学部国文科を卒業したのち肺病で大阪に帰り、1936年『花粉』、1941年 - 1942年の『新雪』で新聞小説家として復帰。その後、大衆・流行作家として数多くの小説を書き、晩年まで関西文壇の長老として活動を続けた。

 

1931年秋に大阪朝日新聞文芸部の白石凡は、横山エンタツ花菱アチャコしゃべくり漫才キタの花月の寄席で見た。コンビ結成以来漫才を自作してきたエンタツに優秀な漫才作者が付くと更に新しい漫才が期待できると考えた白石は、親交のあった藤沢に相談した。この時藤沢は高校・大学の同期で交流のあった文芸作家の林広次を紹介し、エンタツと引き合わせた。エンタツと林は意気投合して林は漫才作家に転向した。この林こそ後に「上方漫才の父」とも称される秋田實である。