源氏物語 (1951年の映画) - Wikipedia

つぶやき映画館 源氏物語

源氏物語』(げんじものがたり)は、1951年(昭和26年)11月2日公開の日本映画である。大映製作・配給。監督は吉村公三郎、脚本は新藤兼人モノクロスタンダード、123分、映倫番号:483。

大映の創立10周年記念映画として、豪華出演者・スタッフで製作した大作映画。紫式部の『源氏物語』の初の映像化作品であり、本作では、桐壺の死と光源氏の幼少期をプロローグとし、26歳頃の源氏を中心とした1年半の物語を描いている[2]。配収は1億4105万円で、1951年度の邦画配収ランキング第1位となった。第25回キネマ旬報ベスト・テン第7位、第5回カンヌ国際映画祭撮影賞受賞。

広島県福山市鞆の浦で一部ロケが行われた[3]

 

監督 吉村公三郎
脚本 新藤兼人
製作 永田雅一
出演者 長谷川一夫
京マチ子
乙羽信子
木暮実千代
大河内傳次郎
音楽 伊福部昭
撮影 杉山公平
編集 西田重雄
製作会社 大映京都撮影所
配給 大映
公開 日本の旗 1951年11月2日
上映時間 123分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
配給収入 1億4105万円[1]

 

カラー化フル動画

 

本作は、当時の源氏物語ブームにあやかって製作され[4]、当時の日本映画においては空前の規模で製作を敢行した[5]新藤兼人は、原作に最も忠実といわれる与謝野晶子の現代語訳をもとに、長大な原作を約1年半の物語に脚色し、さらに明石の上女三宮を合体させた「淡路の上」という人物を新たに創出している[4][6]。脚色には、谷崎潤一郎が監修、池田亀鑑が校閲、紫式部学会が後援にあたった。

主演級の俳優の衣裳60組は、髙島屋の全面協力によって調達し、花の宴のシーンでは30人の女官の衣裳代だけで総予算をオーバーしたという[5]

 

 

吉村公三郎 - Wikipedia

吉村 公三郎

南方戦線より復員後の1947年、没落する華族の最後の舞踏会を通じて新しい社会の到来を印象付ける作品となった『安城家の舞踏会』を撮り[5]、キネマ旬報ベストワンに輝く。以後、この作品の脚本を書いた新藤兼人とのコンビで多くの名作を制作することとなる。また、1950年には、その新藤兼人と映画製作会社「近代映画協会」を設立し、作品は主に大映で配給された。1951年に『偽れる盛装』で毎日映画コンクール監督賞を受賞している。なお、この年には松竹大船撮影所に見学に来ていた岸惠子をスカウトした[6]

 

以後、1952年には監督した『源氏物語』がカンヌ国際映画祭に出品され、杉山公平が撮影賞を受賞している。精力的に作品を発表し、男女の心理描写に優れた手腕を発揮した。1956年、経営が行き詰った近代映画協会を離れ(新藤兼人の要望で名義だけは残した。昭和40年代、再び近代映協製作映画の監督を務めている)、大映に入社し、山本富士子や京マチ子を主演にした『夜の河』と『夜の蝶』の女性映画モノを脚本家田中澄江とコンビを組んで、大映時代の代表作とした。太平洋テレビジョンの取締役兼映画部長も務めた[7]

 

 

 

セットすんげえ