『非常線の女』(ひじょうせんのおんな)は、1933年(昭和8年)4月27日公開の日本映画である。松竹キネマ製作・配給。監督は小津安二郎。モノクロ、スタンダード、サイレント、100分。
アメリカ映画に影響を受けた小津監督による和製ギャング映画で、岡譲二が暗黒街の男、田中絹代がその情婦を演じた。
東京国立近代美術館フィルムセンターが119分尺および120分尺の35mmフィルム、120分尺の16mmフィルムの3種類の上映用ポジプリントを所蔵している[1]。2003年(平成15年)12月25日に、松竹が発売した『小津安二郎 DVD-BOX 第四集』に収録された[2]。
監督 | 小津安二郎 |
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脚本 | 池田忠雄 |
原案 | ゼームス槇 |
出演者 | 田中絹代 岡譲二 水久保澄子 三井秀夫 |
撮影 | 茂原英朗 |
編集 | 石川和雄 栗林実 |
製作会社 | 松竹蒲田撮影所 |
配給 | 松竹キネマ |
公開 | 1933年4月27日 |
上映時間 | 100分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
- 監督:小津安二郎
- 脚色:池田忠雄
- 原案:ゼームス槇(小津安二郎)
- 撮影:茂原英朗
- 配光:中島利光
- 美術監督:脇田世根一
- 舞台装置:大谷弥吉
- 舞台装飾:星野武
- 衣裳:斎藤紅
- 結髪:芳賀治工
- 撮影補助:厚田雄春、入江政男、入沢良平、広木正幹、木下正吉
- 現像操作:納所歳巳、阿部鉉太郎
- 字幕撮影:日向清光
- タイトル:志賀友易
- 撮影事務:高山伝
- 編集:石川和雄、栗林実
- 監督補助:清輔彰、原研吉、佐野豊臣、平塚広雄
- 時子:田中絹代
- 襄二:岡譲二
- 和子:水久保澄子
- 和子の弟・宏:三井秀夫
- みさ子:逢初夢子
- 仙公:高山義郎
- 三沢:加賀晃二
- 社長の息子・岡崎実:南條康雄
- 社長の息子の秘書:谷麗光
- 拳闘場のボス:竹村信夫
- ダンスホールの与太者:鹿島俊作
- 巡査:西村青児
- 警官:笠智衆(ノンクレジット)
- 特別応援:帝国拳闘会、フロリダダンスホール
カラー化フル動画
本作の撮影は、同年3月8日から4月にかけて行われた[4]。原案のゼームス・槇とは、当初、伏見晁、池田忠雄、小津、北村小松の共同筆名として生まれたものであったが、実際は小津単独の筆名になった[5]。池田による脚本は1週間で完成し、同年1月24日に本読みが行われた[5]。しかしこの当日、急きょ六車修次長から急ぎものの撮影を頼まれ、1月27日から2月4日にかけて『東京の女』を撮っている[4][6]。なお、撮影補助の木下正吉は後の木下恵介で、本作について深夜撮影が多くて苦労したと述懐している。
特別応援としてクレジットされている「フロリダダンスホール」とは、1929年(昭和4年)8月、東京市赤坂区溜池町30番地(現在の東京都港区赤坂2-4-1)に開場したダンスホールで、1932年(昭和7年)8月8日に一度焼失しているので、翌年に撮影された本作への協力は復興後の同ホールである[7]。時局が厳しくなった1940年(昭和15年)10月31日、他の都内のダンスホールと共に閉鎖された。
本作における田中絹代は、昼間はタイピストを務める勤勉なビジネスガールであるが、夜は一転してギャングの情婦という役どころである[8]。
山本喜久男の指摘によれば、ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督の『暗黒街』(1927年)や『非常線(英語版)』(1928年)の影響が濃厚であり、本作に先行する『朗かに歩め』と『その夜の妻』(1930年)が、小津における暗黒街ものであるという[9]。筈見恒夫は本作にウィリアム・A・ウェルマン監督の『暗黒街の女』(1928年)からの影響を指摘し、「小市民作家」のエネルギーを浪費しているといい、本作への失望を表明している[10]。
初回興行は大阪・朝日座と浅草公園六区・帝国館で、同時上映は冬島泰三監督・林長二郎主演の『侠客春雨傘』。
活弁・音無しで戦前フォントだとまるで話が入って来ない。
10分で断念。