お遊さま(おゆうさま)は、1951年に公開された日本映画。配給は大映。95分、モノクロ、スタンダードサイズ、映倫番号:444。
監督 | 溝口健二 |
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脚本 | 谷崎潤一郎 (小説) 依田義賢 |
製作 | 永田雅一 |
音楽 | 早坂文雄 |
製作会社 | 大映 |
公開 |
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上映時間 | 95分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
- 監督:溝口健二
- 脚本:依田義賢
- 原作:谷崎潤一郎 「芦刈」
- 撮影:宮川一夫
- 録音:大谷巌
- 美術:水谷浩
- 音楽:早坂文雄
- 照明:岡本健一
- 特殊撮影:松村禎三
- 編集:宮田味津三
- 製作主任:橋本正嗣
- 装置:林米松
- 装飾:中島小三郎
- 背景:太田多三郎
- 美粧:福山善也
- 結髪:花井りつ、木村芳子
- 衣裳:吉實シマ
- 記録:木村恵美
- スチール:齊藤勘一
- 助監督:井田探
- 撮影助手:青柳壽博
- 録音助手:倉島暢
- 照明助手:多田義孝
- 美術助手:内藤昭
- 移動効果:山根正一
- 園芸:中岡芳三郎
- 演技事務:中村元次郎
- 進行:小澤宏
- 衣裳考証:甲斐庄楠音
- 振付:楳義部陸平
- 元曲:藤原正吟
- 謡曲指導:小寺金七
- 茶道指導:井口海仙
カラー化フル動画
元祖ヘンタイ文学
初期は耽美主義の一派とされ、過剰なほどの女性愛やマゾヒズムなどのスキャンダラスな文脈で語られることが少なくないが、その作風や題材、文体・表現は生涯にわたって様々に変遷した。漢語や雅語から俗語や方言までを使いこなす端麗な文章と、作品ごとにがらりと変わる巧みな語り口が特徴。『痴人の愛』『春琴抄』『細雪』など、情痴や時代風俗などのテーマを扱う通俗性と、文体や形式における芸術性を高いレベルで融和させた純文学の秀作によって世評高く、「文豪」「大谷崎」[注 1] と称された。その一方、今日のミステリー・サスペンスの先駆的作品、活劇的な歴史小説、口伝・説話調の幻想譚、果てはグロテスクなブラックユーモアなど、娯楽的なジャンルにおいても多く佳作を残している。
谷崎46歳当時の短編「芦刈」
田中絹代 - Wikipedia 当時42歳
乙羽信子 - Wikipedia 当時27歳 堀雄二 - Wikipedia 当時29歳
溝口健二 - Wikipedia 当時53歳
松竹を退社してフリーとなった溝口は、新東宝と滝村和男プロダクションの提携で舟橋聖一原作の『雪夫人絵図』(1950年)、旧知の永田雅一が社長を務める大映で谷崎潤一郎原作の『お遊さま』(1951年)、東宝で大岡昇平原作の『武蔵野夫人』(1951年)を撮影したが、この3本も失敗作となり、長いスランプから脱出できずにいた[2][60][61]。それでも『雪夫人絵図』の時の監督料は200万円で、当時の日本映画界で最も高給取りの監督となった[62]。1951年7月の『武蔵野夫人』公開直後には、クレジットタイトルに「監督」ではなく「演出」と表記されていたことから、日本映画監督協会を通じてクレジットの表記を「監督」に統一することを各社に徹底させ、映画監督の権限や表現の自由を守ることを訴えた[63][注 7]。
1951年9月、黒澤明監督の『羅生門』(1950年)が第12回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した。これに強い刺激を受けた溝口は、念願の企画だった『西鶴一代女』を新東宝と児井英生プロダクションの提携で撮影した[2][64]。この作品は興行的に失敗したが、同年の第13回ヴェネツィア国際映画祭に出品され、国際賞を受賞した[2]。この受賞は溝口に大きな自信を与え、ようやく戦後の長いスランプから脱出することができた[29][65][66]。その後、溝口は東宝との契約を1本残していたことから、石坂洋次郎の短編小説『憎いもの』の映画化に着手したが、シナリオをめぐり東宝と意見が対立したため実現には至らなかった[66]。結局、東宝との契約が未消化のまま、同年秋には大映と専属契約を結んだ[66]。
この当時、付き合ってた田中絹代に地獄絵図作品。