十代の性典 : 作品情報 - 映画.com (eiga.com)

映画酒場ゾートロープ 店主日記: 5/21 『續々十代の性典』(1953)

企画及び脚本は「明日は日曜日」の土井逸雄と、脚本には須崎勝弥に赤坂長義が協力している。監督は「リンゴ園の少女」の島耕二、撮影は相坂操一の第一助手だった中川芳久の第一回担当である。出演者の主なものは、「街の小天狗」の若尾文子と見明凡太朗、「あの手この手」の津村悠子、「神州天馬侠(1952)」の沢村晶子と長谷部健、「ひめゆりの塔(1953)」の小田切みき、千田是也、東野英治郎、小沢栄などの俳優座幹部に、女医常安田鶴子、「二十の扉」の柴田早苗などの特別出演がある。

 

1953年製作/81分/日本
劇場公開日:1953年2月5日

 

監督
脚本
須崎勝弥
 
赤坂長義
企画
土井逸雄
撮影
中川芳久
美術
高橋康一
音楽
斎藤一郎
録音
米津次男
照明
柴田恒吉

 

フル動画前編

劇中レコードコンサートの曲目はこれだけど、どの盤か不明

後編

 

 

監督島耕二 - Wikipedia

島 耕二

1939年(昭和14年)、『雲雀』から監督に転向し、1940年(昭和15年)、『風の又三郎』を発表。1941年(昭和16年)に発表した『次郎物語』は詩情あふれる演出で監督としての代表作となった。第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)召集される。

戦後は、大映東横映画新東宝大映と移り、娯楽映画を中心に発表する。主題歌が大ヒットとなった『銀座カンカン娘』などの歌謡映画から『金色夜叉』、『滝の白糸』などのリメイク作品、『宇宙人東京に現わる』などの空想映画まで作風は多岐に及んだ。

 

 

レズ担当若尾文子 - Wikipedia

十代の性典 に対する画像結果

1952年、急病で倒れた久我美子の代役として、小石栄一監督の『死の街を脱れて』で銀幕デビュー。翌1953年に映画『十代の性典』がヒット作となり[2]、マスコミから性典女優と酷評されるも知名度は急上昇した。それ以降も出演作を重ね人気女優としての地位を築く。同年の映画『祇園囃子』(1953年)では溝口健二監督に起用され、女優としての実力を発揮し、性典女優の蔑称(汚名)を返上し、熱演が高く評価された。以降、可憐でありながら強烈な情念と内に秘めた激しい気性を表現する演技から、日本映画を代表する正統派美人女優の一人となり、京マチ子山本富士子と並ぶ大映の看板女優と謳われ、260本以上の映画に主演した。和服姿の艶やかな美貌から、未だに国内での人気が高い[1]

 

3年後にこのサイコパスっぷり

 

 

エピソードが複合的でめんどくさい。

月経による体調不良。不良グループとの不純異性交遊。同性愛。性暴行のトラウマ。

女性の事情も個別に色々あるだろうから、ひとつに絞れないのだろうけど、途中で完全に集注が切れた。