あの手この手 - Wikipedia

あの手この手 監督/市川崑 出演/久我美子 水戸光子 堀雄二 森雅之 津村悠子 望月優子 大伴千春 平井岐代子 毛利菊枝 近衛敏明 伊藤雄之助 | 映画 ポスター, 映画, 日本映画

あの手この手』(あのてこのて)は、1952年12月23日に公開された日本映画

 

京都伸夫原作のラジオドラマ『アコの贈り物』を、市川崑監督が映画化したホームコメディ。当時東宝と関係の強い藤本プロに身を寄せていた市川に、1本だけという条件で大映のプロデューサーだった辻久一から監督の依頼があり、藤本真澄の承諾の元、大映京都で撮影が行われたが、都会的な話にもかかわらず、主に時代劇を撮っていたため、小道具類にイメージに沿うものがなく、撮影は往生したという。脚本は市川と和田夏十の夫婦共作だが、大部分は和田が執筆している[1]

 

監督 市川崑
脚本 和田夏十
市川崑
出演者 久我美子
森雅之
水戸光子
音楽 黛敏郎
撮影 武田千吉郎
編集 宮田味津三
製作会社 大映
配給 大映
公開 日本の旗 1952年12月23日
上映時間 92分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
 
京都 伸夫(きょうと のぶお、1914年3月3日[1] - 2004年11月28日[要出典])は、日本の脚本家、作家。本名は長篠 義臣[2]
1914年大正3年)生まれ[2]徳島県出身。京都帝国大学文学部社会学科卒業。
 

大学卒業後、日活京都撮影所の脚本部に入社[4]。翌年、恋愛遍歴に疲れて結婚[4]。まもなく、大学の先輩が所長を務めていた宝塚映画製作所に転じ、製作所の二作目『雪割草』(小公女の翻案)のシナリオを書いた[5]。同所が閉鎖されると宝塚歌劇団の方へ移籍し、舞台監督として山陰・四国・九州など、地方での公演にしばしば出掛けた[6]。戦況が激化してからは、移動演劇隊を組織して女生徒らを引率、工場や軍の病院を慰問してまわった[6]。その後、支那事変に召集され[6]、終戦後は華中から復員[5]。すぐに宝塚を辞めてマキノ芸能社の文芸部に移った[5]。この時、『雪割草』で主役をつとめた東雲千鶴子のほか、東屋鈴子(=東屋トン子)らをマキノ芸能社に呼び寄せた[5]

戦後は、関西を舞台に、若い女性をヒロインにした小説や放送劇(「アコの贈り物」「春日家の青春」など)を数多く書いた[7]ほか、映画や舞台の脚本も手がけた。

 

 

劇中に「真珠婦人」というキーワード。大映の先代社長、菊池寛のヒット小説。これを捩った企画?
ラジオドラマ「近鉄パールアワー」というくらいだから、伊勢志摩方面の観光客誘致を狙った近鉄のスポンサーシップに大映が乗ったように見える。