『女間者秘聞 赤穂浪士』(おんなかんじゃひぶん あこうろうし)は、1953年(昭和28年)4月1日公開の日本映画である。東映製作・配給。監督は佐々木康、主演は片岡千恵蔵。白黒、スタンダード、130分。
監督 | 佐々木康 |
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脚本 | 八尋不二 |
原作 | 住吉山声、山上伊太郎 |
製作 | 大川博 |
出演者 | 片岡千恵蔵 早川雪洲 山田五十鈴 木暮実千代 月形龍之介 薄田研二 大友柳太朗 瑳峨三智子 |
音楽 | 吉村正志 |
撮影 | 三木滋人 |
編集 | 宮本信太郎 |
製作会社 | 東映京都撮影所 |
配給 | 東映 |
公開 | 1953年4月1日 |
上映時間 | 130分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
前作 | 續 赤穂城 |
- 立花左近:早川雪洲 (応援出演)
フル動画前編
後編
「女間者秘聞」のタイトル通り、愛する人のために間者となって吉良の毒牙にかかった上で死んでいく一人の若い娘の悲運に焦点を絞っている作品である。 戦前のマキノの御室時代作品『間者』(1928年)にヒントを得て、原惣右衛門の娘お千賀の話だったものを、『赤穂城』、『續 赤穂城』でも中心に据えられていた月形龍之介演じる片岡源五右衛門の娘と置き換えている。
なお悲劇のヒロイン役を演じた嵯峨三智子は『旗本退屈男 八百八町罷り通る』(1953年)でデビューしたばかり新人女優だった[1]。
1952年9月、東映に入社し、嵯峨美智子(後に瑳峨三智子に改名)の芸名で女優デビュー。デビュー後、既に離婚していた母・五十鈴と十数年ぶりに対面したが、しばらくの間、母を「山田さん」と呼んで周囲を驚かせたといわれる。
1956年に松竹移籍。母・五十鈴譲りの妖艶な色気と演技力で人気を得た。1962年、俳優の岡田眞澄と婚約したが、結婚に至らず2年後に解消。その後、金銭トラブルや薬物中毒などたびたびトラブルを起こし、芸能界復帰と失踪を何度も繰り返した。俳優の森美樹とのラブロマンスもあったが、森のガス中毒による急死により悲劇となった。
佐々木 康(ささき やすし、1908年1月25日 - 1993年9月13日)は、昭和期の映画監督。法政大学本科国文科中退。松竹、東映、東映テレビプロダクションに属した。早撮りの名人として知られ、松竹時代は歌謡映画、東映時代は時代劇映画、東映テレビ時代はテレビ時代劇のヒット作を連発する。映画作品168本、テレビ作品500本弱を撮った、典型的なプログラムピクチャーの監督である。
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