恋人 (1951年の映画) - Wikipedia

映画「恋人」(1951、新東宝)を見る。市川崑監督。池部良、久慈あさみ主演。 | fpdの映画スクラップ帖(名作に進路を取れ!)2号館

恋人』(こいびと)は、劇作家梅田晴夫が書いたラジオドラマ『結婚の前夜』を原作として、1951年新東宝で製作された日本映画である。モノクローム作品で、監督は市川崑。本作以降、『和田夏十』は市川の妻である茂木由美子の個人名義となる

 

監督 市川崑
脚本 和田夏十、市川崑
製作 青柳信雄
製作総指揮 青山碩
出演者 久慈あさみ池部良
音楽 服部正
撮影 横山實
編集 長田信
製作会社 新東宝昭映プロダクション
配給 新東宝
公開 日本の旗 1951年3月10日
上映時間 70分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
前作 夜来香

 

フル動画前編

後編

 

  • 原作は梅田晴夫のラジオドラマ『結婚の前夜』である。この作品は1949年6月23日に、NHKラジオ小劇場で1話完結で放送されたもので、原作は京子と誠一のダンスホールでのやりとりが中心になっている。映画化にあたっては、新東宝から「10日ほどで何か撮ってくれ」との要請で企画されたもので[1]、さまざまな挿話が付け加えられたが、ほぼ原作に忠実な内容と言える。脚本は市川夫妻が手がけているが、具体的には、和田が話の流れを提示し、市川が10日間で撮影できるように場面を割り振りする作業を行い、脚本は2日間で書き上げられた。当時の新東宝には予算がなく、撮影はロケーションが中心で、終電間際の新宿駅の地下道などで行われている[2]。ダンスホールの場面では、原作ではシャンソンが歌われたが、映画版ではイギリス民謡のHome, Sweet Home(日本語名:埴生の宿)が英語で歌われた。

梅田晴夫 - Wikipedia

1949年春、劇作家としての処女作となる舞台劇脚本『風のない夜』を発表。6月には結婚前の娘の心情を描いたラジオドラマ脚本『結婚の前夜』がNHKラジオで取り上げられ、梅田は放送作家としてデビューする。翌年には、『五月の花』が佐藤春夫の推薦を受け、第2回水上瀧太郎賞を受賞。その後、内村直也の門下に入り、劇作家として本格的に執筆活動を開始する。

1951年(昭和26年)、演劇人育成のために、内村と「芸術協会」[13]を設立し、後進の指導にあたる一方、新進脚本家として旺盛な執筆活動を行なった。なかでも舞台劇の『未知なるもの』、ラジオドラマの『チャッカリ夫人とウッカリ夫人』や『母の肖像』などは聴取者や評論家たちから高い評価を受け、一時は東宝の専属脚本家として川端康成の『伊豆の踊子』の映画脚本[14]を書くなど、昭和30年代にかけて数千本にのぼる脚本を執筆[15]したという。1953年(昭和28年)10月13日、梅田の父、潔が狭心症のため81歳で死去。梅田は当時放送中だったラジオドラマ『みゆき』を小説に書き直し、亡き父に捧げた。

1955年(昭和30年)結核のため妻の喜美が死去。梅田家は東京都渋谷区[16]に転居。しばらくして宝塚歌劇団出身の女優と3度再婚するが、いずれも間もなく離婚。1959年(昭和34年)には映画女優の万里陽子[17](本名:政江)と再婚。翌年、長男望夫[18]が誕生したのを機に劇作家としての活動から退き、広告代理店博報堂に入社。この時期には仕事の関係で渡欧[19]もしている。1960年(昭和35年)には同社の取締役に就任し、2期4年間その任にあたるが、長女のみかが誕生したのを機に博報堂を退社し、日本放送作家協会常務理事に就任。世田谷区代沢に転居する。

 

ホーム・スイート・ホーム(埴生の宿) (youtube.com)

 

アニーローリー

 

リアルだとこういう感じ

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