『恋人』(こいびと)は、劇作家梅田晴夫が書いたラジオドラマ『結婚の前夜』を原作として、1951年に新東宝で製作された日本映画である。モノクローム作品で、監督は市川崑。本作以降、『和田夏十』は市川の妻である茂木由美子の個人名義となる。
監督 | 市川崑 |
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脚本 | 和田夏十、市川崑 |
製作 | 青柳信雄 |
製作総指揮 | 青山碩 |
出演者 | 久慈あさみ、池部良 |
音楽 | 服部正 |
撮影 | 横山實 |
編集 | 長田信 |
製作会社 | 新東宝、昭映プロダクション |
配給 | 新東宝 |
公開 | ![]() |
上映時間 | 70分 |
製作国 | ![]() |
言語 | 日本語 |
前作 | 夜来香 |
- 製作 : 青柳信雄
- 監督 : 市川崑
- 原作 : 梅田晴夫のラジオドラマ『結婚の前夜』
- 脚本 : 和田夏十、市川崑
- 編集 : 長田信
- 撮影 : 横山實
- 照明 : 藤林甲
- 録音 : 根岸壽夫
- 美術 : 藤田博
- 助監督 : 勝俣眞喜治
- 製作主任 : 青山碩
- タイトル画 : 池部鈞
- 音楽 : 服部正
- 主題歌 : 『恋人』
- 特殊技術 : 新東宝特殊技術
- 記録 : 河辺キヨ
- 製作主任 : 青山碩
- スチール : 泰大三
- 池部良(遠藤誠一)
- 久慈あさみ(小田切京子)
- 千田是也(小田切恵介)
- 村瀬幸子(小田切節子)
- 北林谷栄(佐伯さん<仲人>)
- 森繁久彌(ダンスホールのマネージャー役、実名で出演。)
- 斎田愛子(ダンスホールの歌手役、実名で出演。)
- 伊藤雄之助(洗濯屋)
- 小高まさる(バスの中の男)
- 柳谷實(運ちゃん)
- 鈴木俊子(京子の友人)
- 武村新(てんぷら屋の主人)
- 横尾泥海男(誠一の先輩)
- 若月輝夫(自動車の客)
フル動画前編
後編
- 原作は梅田晴夫のラジオドラマ『結婚の前夜』である。この作品は1949年6月23日に、NHKラジオ小劇場で1話完結で放送されたもので、原作は京子と誠一のダンスホールでのやりとりが中心になっている。映画化にあたっては、新東宝から「10日ほどで何か撮ってくれ」との要請で企画されたもので[1]、さまざまな挿話が付け加えられたが、ほぼ原作に忠実な内容と言える。脚本は市川夫妻が手がけているが、具体的には、和田が話の流れを提示し、市川が10日間で撮影できるように場面を割り振りする作業を行い、脚本は2日間で書き上げられた。当時の新東宝には予算がなく、撮影はロケーションが中心で、終電間際の新宿駅の地下道などで行われている[2]。ダンスホールの場面では、原作ではシャンソンが歌われたが、映画版ではイギリス民謡のHome, Sweet Home(日本語名:埴生の宿)が英語で歌われた。
1949年春、劇作家としての処女作となる舞台劇脚本『風のない夜』を発表。6月には結婚前の娘の心情を描いたラジオドラマ脚本『結婚の前夜』がNHKラジオで取り上げられ、梅田は放送作家としてデビューする。翌年には、『五月の花』が佐藤春夫の推薦を受け、第2回水上瀧太郎賞を受賞。その後、内村直也の門下に入り、劇作家として本格的に執筆活動を開始する。
1951年(昭和26年)、演劇人育成のために、内村と「芸術協会」[13]を設立し、後進の指導にあたる一方、新進脚本家として旺盛な執筆活動を行なった。なかでも舞台劇の『未知なるもの』、ラジオドラマの『チャッカリ夫人とウッカリ夫人』や『母の肖像』などは聴取者や評論家たちから高い評価を受け、一時は東宝の専属脚本家として川端康成の『伊豆の踊子』の映画脚本[14]を書くなど、昭和30年代にかけて数千本にのぼる脚本を執筆[15]したという。1953年(昭和28年)10月13日、梅田の父、潔が狭心症のため81歳で死去。梅田は当時放送中だったラジオドラマ『みゆき』を小説に書き直し、亡き父に捧げた。
1955年(昭和30年)結核のため妻の喜美が死去。梅田家は東京都渋谷区[16]に転居。しばらくして宝塚歌劇団出身の女優と3度再婚するが、いずれも間もなく離婚。1959年(昭和34年)には映画女優の万里陽子[17](本名:政江)と再婚。翌年、長男望夫[18]が誕生したのを機に劇作家としての活動から退き、広告代理店の博報堂に入社。この時期には仕事の関係で渡欧[19]もしている。1960年(昭和35年)には同社の取締役に就任し、2期4年間その任にあたるが、長女のみかが誕生したのを機に博報堂を退社し、日本放送作家協会常務理事に就任。世田谷区代沢に転居する。
ホーム・スイート・ホーム(埴生の宿) (youtube.com)
アニーローリー
リアルだとこういう感じ