ブンガワンソロ - Wikipedia

Bungawan soro - DvdToile

ブンガワンソロ』は、1951年制作の日本映画市川崑新東宝で撮った最後の作品(この後、東宝に復帰した)。

太平洋戦争終結前夜のインドネシア・ジャワ島を舞台に、日本軍の脱走兵と彼に恋心を抱く村の娘の悲恋を描く。

日本映画技術賞特殊技術賞(新東宝特殊技術スタッフに対して)。昭和26年度藝術祭参加作品。

 

市川崑
脚本 和田夏十
市川崑
原作 金貝省三
製作 佐藤一郎
出演者 池部良
森繁久彌
伊藤雄之助
久慈あさみ
藤田進
音楽 飯田信夫
撮影 横山実
編集 長田信
製作会社 新東宝+佐藤プロ
配給 新東宝
公開 日本の旗 1951年10月19日
上映時間 92分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
インドネシア語

フル動画前編

後編

 

 

前に一度観てる。

 

原曲

クロンチョン - Wikipedia

クロンチョン(Kroncong)は、インドネシアを代表する大衆音楽のジャンルである。演奏は、男性・女性歌手に伴奏楽器としてフルートヴァイオリンチェロギターベース、チャッ、チュッ(弦3本の小型ギター)が加わり、打楽器は使用されず、弦楽器だけでリズムを作るのが特徴である。欧米や東アジアのポピュラー音楽が存在感を増しつつある今日のインドネシアの大衆音楽界においても、クロンチョンの人気は依然として高い。

 

ブンガワン・ソロ Bengawan Solo」は、インドネシアジャワ島中部を流れる「ソロ川」を意味するが、クロンチョンの代表曲のタイトルでもある(なお河川のソロ川は、全長540キロメートル、流域面積は1万5000平方キロメートル、ジャワ島で最長の川である)。このソロ川は雨季には水があふれるが、乾季にはほとんど枯渇してしまう。クロンチョン「ブンガワン・ソロ」では、その自然の不思議さとともに、そこで生きる人々の故郷への想いがうたわれている。

この曲を作ったのはグサン・マルトハルトノGesang Martohartono1917年10月1日-2010年5月20日)である。グサンは中部ジャワ・ソロ(スラカルタ)出身で、10代のころからクロンチョン楽団で活動し、自らも多数のクロンチョン曲を作った。ブンガワンソロは23歳のときに作詞・作曲し、国民的愛唱歌となった[3]

第二次大戦中はグサンも日本軍の慰問団に加わりジャワ島各地を回り、日本兵にも大変愛された[4][5]。そのため曲自体は日本でも以前からよく知られており、1948年には歌詞を日本語に訳して松田トシが歌うレコードが出ている。これが大ヒットし、南国歌謡ブームを巻き起こした[5]。ただその際に作曲者名にクレジットがなかったので「作者不詳」などと表記されることが多かった。ところが、戦時中にジャワに駐在していた日本人でグサンのことを知る者がおり、のちに日本でもこの作曲者のことが知られるようになった。1990年8月に来日初公演をおこなった[6]

ブンガワン・ソロを主題歌に1951年、市川崑監督による同名の映画『ブンガワンソロ』も製作され、1949年の黒澤明監督映画『野良犬 (1949年の映画)』では刑事が犯人を捜して闇市を彷徨うシーンの挿入歌として使われた。曲は美空ひばり小林旭都はるみなど多くの歌手がカバーしている[3]

グサン・マルトハルトノ - Wikipedia

Gesang Martohartono に対する画像結果

グサン・マルトハルトノ(Gesang Martohartono、1917年10月1日 - 2010年5月20日[1])は、ジャワ島中部出身のインドネシアシンガーソングライター。インドネシア全国のみならず、日本アジア各地、その他の地域でも知られる楽曲「ブンガワン・ソロ (Bengawan Solo)」の作曲者である。この曲は、ジャワの音楽のスタイルのひとつであるクロンチョンとほぼ同義といってよいほど、その代表曲となっている。マルトハルトノは、もっぱら名だけのグサン (Gesang) として知られていた。

 

 

ソロ川 - Wikipedia

ソロ川(Bengawan solo、Bengawanはジャワ語で大河の意)は、インドネシアジャワ島中部ジャワ州東ジャワ州を流れる全長約540kmのジャワ島最長の河川である。その水流は、ジャワ島の東部および北部地域の農地を潤している。

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1948年に松田トシ盤が売れてるんで、これに乗った企画?