手持ちの円盤全て視聴完了。これからしばらく1階の映画館を離れて、2階PC画面での視聴。
まずはなつかし映画リアクション - YouTubeさんの投稿動画。
今日はこれ。
『にごりえ』は、1953年(昭和28年)11月23日公開の日本映画である。文学座・新世紀映画社製作、松竹配給。監督は今井正。モノクロ、スタンダード、130分。
樋口一葉の短編小説『十三夜』『大つごもり』『にごりえ』の3編を原作とするオムニバス映画。文学座の俳優が総出演している。第27回キネマ旬報ベスト・テン第1位。昭和28年度芸術祭参加作品。
監督 | 今井正 |
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脚本 | 水木洋子 井手俊郎 |
原作 | 樋口一葉 |
製作 | 伊藤武郎 |
出演者 | 丹阿弥谷津子 久我美子 淡島千景 |
音楽 | 團伊玖磨 |
撮影 | 中尾駿一郎 |
編集 | 宮田味津三 |
製作会社 | 文学座 新世紀映画社 |
配給 | 松竹 |
公開 | ![]() |
上映時間 | 130分 |
製作国 | ![]() |
言語 | 日本語 |
- 十三夜
月=ロマンスのつもりでいたら、まさかの出戻り娘
- 原田せき(出戻り娘):丹阿弥谷津子
なぜか不倫へと急展開
- 高坂録之助(人力車夫):芥川比呂志
芥川龍之介の長男。この頃、文学座でブイブイ言わせてた。
1950年:信濃町にアトリエ落成、だって・・・
イケメンが没落して人力車夫に身を窶す件、今井監督の当時の状況を反映してる。
この人、元々アカ。
1929年(昭和4年)、中学を卒業して旧制水戸高校に入学。在学中、マルクス主義に関心を持ち[6]、雑誌『戦旗』に感激してからは学内の秘密組織読書会のメンバーとなった[7]。翌年、特高に連行され、1年間の停学処分を受ける[7]。1933年(昭和8年)、東京帝国大学文学部美術史科に入学。学内の秘密組織に入り、同年に本富士警察署に検挙される。翌1934年(昭和9年)にまた1年間の停学処分を受け、そのまま中退する。
1949年(昭和24年)、石坂洋次郎原作の青春映画『青い山脈』前後篇を監督。戦後民主主義を高らかに謳い上げ、同名の主題歌とともに大ヒットを記録。今井も第1級の監督として注目される。この頃から自由に作品を作りたいと感じ、『青い山脈』製作後に東宝を退社してフリーとなる[13][注釈 2]。 1950年(昭和25年)に連合国軍最高司令官総司令部指令によるレッドパージの波が映画界にも及ぶと、今井も追放対象者としてリストアップされたが、フリーの立場で『また逢う日まで』を監督。戦争によって引き裂かれた恋人の悲劇を描き、主演の岡田英次と久我美子のガラス窓越しのキスシーンが話題となった[14]。
GHQの指令で左翼系映画人たちを映画会社5社から締め出すレッドパージが施され、それによって仕事ができなくなると感じた今井は、生計を立てる為に屑物の仕切り屋を開業するが、集めた鉄くずが朝鮮戦争の兵器に使われることを知るとこの仕事を辞めた[15]。その頃、レッドパージで追放された映画人が次々と独立プロを立ち上げて活動するようになり、今井も1951年(昭和26年)に山本薩夫・亀井文夫らの新星映画社で『どっこい生きてる』を監督する。
この映画の製作は監督の独立プロの新世紀映画社。
文学座はどう関与した?松竹は配給。
- 大つごもり(大晦日)
- みね:久我美子
- 安兵衛(みねの伯父):中村伸郎
- 山村嘉兵衛(石之助の父):竜岡晋
- 山村あや(石之助の継母):長岡輝子
- しん(安兵衛の妻):荒木道子
- 山村石之助:仲谷昇(ノンクレジット)
- 山村家次女:岸田今日子(ノンクレジット)
- 車夫:北村和夫(ノンクレジット)
- 三之助(みねの従弟):河原崎次郎(ノンクレジット)
山村家に女中奉公に出るお峰の大晦日近辺を描き、お峰と作者自身を重ね合わせて明治期の貧しい女性の悲哀を浮かび上がらせている。実際、富裕階級の娘らが集まっていた「萩の舎」(師匠の中島歌子の私塾)で2円の金がなくなった時に、一葉に嫌疑がかかったことがあったという[3][1]。
育ての親「借金の利子を入れんとあかんくなる」
奉公先の放蕩息子
奉公先の現ナマに手を付けた主演女優久我美子
前年はこれだった
久我美子、今井監督と一緒に砧に籠った仲だった
- にごりえ
- お力(小料理屋「菊之井」の酌婦):淡島千景(松竹)
- お初(源七の妻):杉村春子
- 酌婦お秋:賀原夏子
- お八重(「菊之井」の女将):南美江
- お力の母:北城真記子[1]
- お高:文野朋子[1]
- 朝之助:山村聡
- 源七:宮口精二
- 藤兵衛(「菊之井」の主人):十朱久雄
- ヤクザ:加藤武[1](ノンクレジット)
- 縁日の若妻:加藤治子[1]
- 源七の息子:松山省二[1]
- 女郎に絡む男:小池朝雄(ノンクレジット)
- ガラの悪い酔客:神山繁 (ノンクレジット)
下谷龍泉寺町(現・台東区竜泉)から1894年(明治27年)5月に転居した本郷区丸山福山町(現・文京区西片)には、銘酒屋が立ち並び、夜ごと不特定多数の男たちに身を売って生活している女たち(私娼)が多くいた[1]。一葉は彼女たちによく頼まれて恋文の代筆をしたという[1]。
一葉の家の隣にあった銘酒屋は「鈴木亭」という店で、主人公の「お力」は、その店の酌婦「お留」をモデルにしたものともいわれている[1]。また、結城朝之助の造型には、一葉がその恋を諦めざるを得なかった半井桃水があるとみられている[1][3]。『にごりえ』執筆直前の1895年(明治28年)1月には、『文學界』同人の戸川安宅から借りたドストエフスキーの『罪と罰』を読んでいたという[4]。
『にごりえ』が発表された1895年(明治28年)は、1889年(明治22年)7月12日に死去した一葉の父・則義の七回忌にあたる[5][4]。一葉は法要のため博文館に原稿料の前借りを申し出ており、『にごりえ』の原稿はその引き換えとして執筆された[5]。山梨県立文学館所蔵の未定稿によれば、当初の草稿では「ものぐるひ」「親ゆずり」の仮題が付けられている[1]。
ナンバー1キャバ嬢
上客ゲット
おねえちゃんに入れあげて破滅した男
おねえちゃんと無理心中
『にごりえ』=濁り江、社会の底辺。キャバ嬢が子供の時にお豆腐買いに行ってコケた時に顔に泥が着く。成人して入店したのが「菊の井」これって皇居の井戸?
店の看板に卍なのは信濃町と関係ありそうな。
今井監督は東宝争議で撮影所に立て籠もってた。この時、久我美子も居たとある。
第3部「にごりえ」の淡島千景も1950年に宝塚に辞表を出して辞めてる。連動してるとしか思えん。
ほぼ文学座俳優で固めた中、山村聡(文化座)というのが解せない。普通に考えてパヨ界隈のお付き合い。後に「蟹工船」を自前で製作するタイプ。