今日はこれ。
『愛妻物語』(あいさいものがたり)は、1951年(昭和26年)9月7日公開の日本映画である。大映製作・配給。監督は新藤兼人。モノクロ、スタンダード、97分。
新藤兼人の監督デビュー作で、自らの下積み時代を描いた自伝的作品である。大河内傳次郎がカメオ出演している。
監督 | 新藤兼人 |
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脚本 | 新藤兼人 |
出演者 | 乙羽信子 宇野重吉 |
音楽 | 木下忠司 |
撮影 | 竹村康和 |
編集 | 西田重雄 |
製作会社 | 大映京都撮影所 |
配給 | 大映 |
公開 | 1951年9月7日 |
上映時間 | 97分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
- 監督・脚本:新藤兼人(近代映画協会)
- 撮影:竹村康和
- 録音:中村敏夫
- 美術:水谷浩
- 音楽:木下忠司
- 照明:岡本健一
- 編集:西田重雄
- 特殊撮影:松村禎一
- 助監督:天野信
- 撮影助手:田中省三
- 美術助手:内藤照
- 照明助手:辻井義男
- 石川孝子:乙羽信子
- 沼崎敬太:宇野重吉(民芸)
- 大河内傳次郎(賛助出演)
- 所長:菅井一郎(第一協団)
- 坂口監督:滝沢修(民芸)
- 石川浩造:香川良介
- 石川弓江:英百合子
- 増田:清水将夫(民芸)
- 安さん:殿山泰司(近代映画協会)
- 製作部長:原聖四郎
- 内儀さん:大美輝子
- 玉置一恵
- 羽田修
- 旗孝思
- 玉村俊太郎
- 小林叶江
- 三星富美子
フル動画
内容はほぼ新藤兼人 - Wikipediaの経歴に沿ってるけど、結構盛ってるんで比較しつつ観ると結構ウケる。
各所に見られる夫婦の会話とか、昭和鉄板コントで大爆笑。戦前から続いてきた日本人の機微が1951年テイストでは新鮮だったのが、高度成長バブル崩壊で価値観の崩壊した日本人にはギャグになってしまった。でもそれってメディアに洗脳されてた訳で、テレビが笑ってるのを見ると視聴者もそれをおかしいと認識させられるみたいな。気が付くと視聴者側も歪んだ笑いを求めるようになってメディアの側も悪ノリして更に破壊していく。常に新しいものを求めていかないと新陳代謝が起きず緩やかに死んでいくみたいな。でもだからといって今のテレビから出て来る演出の不気味さには耐え難い訳で、いやネット広告も酷い。特にビールのCMの臭さ、でもあの映像を見て飲みたくなる層が分厚いというのが現状。何書いてんだ自分。
東大入学後、窪川、堀辰雄らと『驢馬』を創刊、一方でマルクス主義やプロレタリア文学運動に参加し、「ナップ」や「コップ」を結成。この間に多くの作品を発表した。1931年に日本共産党に入ったが、検挙され1934年に転向する。
戦後再び日本共産党に入り、また『新日本文学』の創刊に加わった。平野謙、荒正人らと「政治と文学論争」を引き起こし、戦後文学の中心者であった。1947年から50年まで日本共産党参議院議員を務める。だが1964年に日本共産党と政治理論で対立し、除名された。1969年に神山茂夫共編で『日本共産党批判』を出版している。
ゴリ押し浜辺の歌 - Wikipedia
1 あした浜辺をさまよえば 昔のことぞしのばるる
風の音よ雲のさまよ 寄する波も貝の色も
2 ゆうべ浜辺をもとおれば 昔の人ぞしのばるる
寄する波よ返す波よ 月の色も星のかげも
3 はやちたちまち波を吹き 赤裳のすそぞぬれひじし
病みし我は すでにいえて 浜の真砂 まなごいまは
1913年(大正2年)8月、古渓は東京音楽学校(現在の東京藝術大学)学友会が発行する雑誌「音楽」に『はまべ』と題した三節からなる詩を発表した。
東京音楽学校に進学した成田は、「音楽」編集者の牛山充から古渓の詩を紹介され、『はまべ』への作曲を勧められる。牛山は『はまべ』の発表後、掲載に値する作品が現れなかったことから、旧知の山田耕筰に相談した結果、山田は自らのもとに住み込みで弟子入りしていた成田を紹介した。具体的な作曲年は不明だが、1916年(大正5年)に成田は東京音楽学校の後輩・倉辻正子(のち東京藝術大学名誉教授矢田部勁吉夫人)に自筆譜を贈ったという話が伝わっていて[3]、遅くともこの年までには作曲されたと考えられる。当時流行したウィンナ・ワルツのリズムに乗せた[4]曲を成田は書き上げた。習作扱いとして「音楽」にこの曲は掲載されることはなかったが、同時期に成田が作曲した他の曲は「音楽」に掲載されていて、牛山が成田を高く評価していたことがわかる。
成田が『はまべ』に付けた曲は、1918年(大正7年)10月、セノオ楽譜出版社によって『浜辺の歌』と改題されて出版された。「音楽」に載せられた古渓の原詩と異なり、漢字かな交じりの文体で詩が表記されている。山田の推薦[5]と、表紙絵に美人画で有名な竹久夢二を起用したことから、大正ロマンの風潮に乗り発表当初から大きな話題を呼び、成田は一躍有名となる。
1941年(昭和16年)に李香蘭(山口淑子)が歌い、コロムビア・レコードから発売される(規格品番:100201)
新藤兼人は李香蘭に乗った?
そして1954年に木下恵介。音楽が弟木下忠司なんでその辺りの繋がり?
いずれにしても監督は乙羽信子に何度も歌わせてる。
びっくりしたのが妻臨終の走馬灯の中で宇野重吉とビーチでじゃれるシーン。しかも提灯ブルマのビキニでスローモーション。グラビアアイドルPVかよ。
これって監督の願望?めっちゃアピってる。
1950年に宝塚を退団して大映入社。
處女峰 - Wikipediaで新藤兼人と初。5本置いて今日の映画。
そう言えば宇野重吉が巨匠の下で脚本を書く流れの中で、妻が監督に直訴する謎展開があったけど、あれって溝健とすでにデキてたとしか思えん。
映画の中では専業主婦のように見せてたけど、実際の内妻・久慈孝子はスクリプターだったらしい。そら監督とはツーカーだわ。
どうしても臨終オチに目が行ってしまうけど、基本は「同棲時代」親の反対を押し切ってカレシのアパートに転がり込む押しかけ女房。戦後のフリーセックスを戦時中にやってましたぁ!みたいな武勇伝?
戦時中といえばそれらしい描写も度々出て来る。戦後の「センソー反対!」アピールより、同棲生活にしか興味が無い。軍部への怒りを煽る感がまるで希薄。どこか遠くでやってるような戦争。戦時中といえば食糧難で大抵の戦後映画ではかなり恨みがましく描写してるのに、この映画では霞でも食ってそうな虚無。個人的に政治臭を荒探ししながら視てるけど、パヨってる顔ぶれなのにパヨ臭がしない。宇野重吉と滝沢修の民芸コンビが「=パ」じゃないのはノイジーじゃないせいで気づかないだけで、演じた役柄で気づけるほどの知識があればよかった。いやいや、ウィキ読むと割と万遍なく文学全体を網羅してそうな。
こういう面倒な観方してたら疲れるね。