2. ハーヴェイ・ガールズ
101分 カラー 1946年
監督 : ジョージ・シドニー
主演 : ジュディ・ガーランド、ジョン・ホディアク
『オズの魔法使い』で有名なジュディ・ガーランド主演のミュージカル西部劇で、
名曲『サンタフェ鉄道』はアカデミー賞歌曲賞を受賞。
『雨に唄えば』『バンド・ワゴン』などで有名な大女優シド・チャリシーも出演している。
『ハーベイ・ガールズ』は、アーサー・フリードがメトロ・ゴールドウィン・メイヤーのために制作した1946年のテクニカラーのアメリカのミュージカル映画です。
ジョージ・シドニーが監督を務め、ジュディ・ガーランドが主演し、ジョン・ホディアック、レイ・ボルジャー、アンジェラ・ランズベリーのほか、プレストン・フォスター、ヴァージニア・オブライエン、ケニー・ベイカー、マージョリー・メイン、チル・ウィルズが出演する。 将来のスター、シド・チャリシーが映画初のスピーチ役で出演。
ハーベイ・ガールズは、ハリー・ウォーレンとジョニー・マーサーが書いた「アチソン、トピカ、サンタフェで」でアカデミー賞最優秀オリジナル曲賞を受賞した。
Directed by | George Sidney Robert Alton (musical number) |
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Written by | Kay Van Riper (additional dialogue) |
Screenplay by | Edmund Beloin Nathaniel Curtis Harry Crane James O'Hanlon Samson Raphaelson |
Story by | Eleanore Griffin William Rankin |
Based on | The Harvey Girls 1942 novel by Samuel Hopkins Adams |
Produced by | Arthur Freed |
Starring | Judy Garland John Hodiak Ray Bolger Angela Lansbury Virginia O'Brien |
Cinematography | George J. Folsey |
Edited by | Albert Akst |
Music by | Harry Warren (music) Johnny Mercer (lyrics) Lennie Hayton (score) |
Color process | Technicolor |
Production |
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Distributed by | Loew's Inc. |
Release date |
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Running time |
102 minutes |
Country | United States |
Language | English |
Budget | $2,931,000[1] |
Box office | $5,175,000[1] |
- Judy Garland as Susan Bradley
- John Hodiak as Ned Trent
- Ray Bolger as Chris Maule
- Angela Lansbury as Em
- Preston Foster as Judge Sam Purvis
- Virginia O'Brien as Alma
- Kenny Baker as Terry O'Hara
- Marjorie Main as Sonora Cassidy
- Chill Wills as H.H. Hartsey
- Selena Royle as Miss Bliss
- Cyd Charisse as Deborah Andrews
- Ruth Brady as Ethel
- Jack Lambert as Marty Peters
- Edward Earle as Jed Adams
- Morris Ankrum as Reverend Claggett
- Stephen McNally as "Goldust" McClean
- Ben Carter as John Henry
- Virginia Rees as the singing voice for Angela Lansbury
- Mary Moder as a special performer
- Marion Doenges as the singing voice for Cyd Charisse
フレッド・ハーベイ・カンパニーのフレッド・ハーベイの孫であるバイロン・ハーベイ・ジュニアは、クレジットされていないが列車の車掌としての役割を果たしている。
ハーベイ・ガールズは、『オズの魔法使』(1939年)以来、レイ・ボルジャーとジュディ・ガーランドと映画上で初めて再会した。
予告
フレッド・ハーヴェイのハーヴェイ・ハウスのウェイトレスを描いたサミュエル・ホプキンス・アダムスの1942年の同名の小説を原作としている。
フレッド・ハーヴィ・カンパニー(Fred Harvey Vompany)は、カンザス・パシフィック鉄道のウァレス駅(カンザス州)とヒューゴ駅(オクラホマ州)に1875年にオープンしたレストランに起因する。このカフェはフレッド・ハーヴィにより運営されたが1年後には別の経営者に引き継がれた。ハーヴィは、この事業により、ハイ・クオリティの食事を駅で提供するという新しいビジネスに目を付けるが、彼の雇い主だったシカゴ・バーリントン・アンド・クインシー鉄道は彼の意見を聞き入れなかった。、しかしアッチソン・トピカ・アンド・サンタフェ鉄道がこのビジネスに興味を持ち、駅に付随する形でレストランをオープンしていく。そして、その後これがレストラン・チェーンの原型となっていく。ハーヴィは食堂車も考えだし、鉄道車内で食事を提供し成功した。
1883年、ハーヴィは容姿の美しい若い女性を雇用し、質の高いサービスを提供するという新しいビジネスを開始した。これにより駅に付随するハーヴィのレストランは大人気となり、高所得の東海岸に住む人々が大陸横断鉄道で中西部を旅するという流行を作った。その後、ハーヴィの運営するレストランは、ハーヴィ・ハウスと呼ばれ、そこで働く女性はハーヴィ・ガールズと呼ばれるようになった。
セクハラプロデューサー
フリードはキャスティング・カウチ(セックスをした相手に役や契約を回すこと)や、大人の女優以外に子役にも手を出すペドフィリアでもあり、当時13歳のジュディ・ガーランドとも性的関係をもっていた。
また『オズの魔法使』の当初の主役は20世紀フォックスから同社の看板スターで、国民的子役のシャーリー・テンプルを借り受けて起用する予定であったので、自分のオフィスに当時12歳のシャーリーを招き入れ面接をした。その際にフリードはスボンを下ろし陰部を彼女に見せるというセクハラ行為を行ったが、大スターの彼女は大笑いして彼の性的な誘いを拒絶したため、フリードは激怒しオフィスからシャーリーを追い出した。
この男の台詞で贖罪させてる。「じじいで済まんかった」「結婚とか無かったことにしてくれ」
このトリオ、ガムシスターズ
ガム・シスターズの2人の姉とともに(1935年頃)
メイド喫茶じゃねえよ笑
ステーキハウスだそうで
向かいの店は風俗店
オーナーは馬口くん
ポエムでナンパしたらイチコロ
もちろん二股野郎なんで修羅場
撮影は 1945 年 1 月 12 日から 6 月 4 日と5か月。
例によってジュディ・ガーランドの病気が出てた?
他のキャストの出番が無駄に多い。場が繋がらなくて誤魔化してる。
この頃のジュディ・ガーランド
翌年妊娠したが、当時カリフォルニア州では違法だった堕胎手術を受けている。1943年に離婚。
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/bc/Judy_Garland_in_Presenting_Lily_Mars.jpg/260px-Judy_Garland_in_Presenting_Lily_Mars.jpg)
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4f/Judy_Garland_The_Harvey_Girls_MGM_Publicity_still.jpeg/260px-Judy_Garland_The_Harvey_Girls_MGM_Publicity_still.jpeg)
そしてこの頃から神経症と薬物中毒の影響が表面化し始め、撮影への遅刻や出勤拒否を繰り返すようになる。1947年に出演した『踊る海賊』の撮影では、130日余の撮影中に36日しか姿を見せていない。撮影後にはジュディ自身が「私の最初の精神病院入院」と呼ぶサナトリウムへの長期入院[4][5]を余儀なくされ、自殺未遂事件[6]を起こす。以降、度々薬物治療のための入退院を繰り返すこととなる。
1945年、映画監督のヴィンセント・ミネリと再婚。翌1946年3月、のちに女優となる娘ライザ・ミネリを出産する。
その後も乱脈な生活と不安定な精神状態はつづき、1949年に計画されていた『ブロードウェイのバークレー夫妻(英語版)』で、撮影を放棄するなどしたため主役を降板している。さらに同年、映画『アニーよ銃をとれ』の撮影中に錯乱状態に陥ってアニー役から下ろされてしまう。
すべてこいつが悪い