7. 世界拳闘王
102分 モノクロ 1933年
監督 : W・S・ヴァン・ダイク二世
主演 : マーナ・ロイ、マックス・ベア
ある酒場で用心棒として働くスティーヴは、
かつて名マネジャーだった教授に引き抜かれプロのボクサーを目指す。
練習中に知り合ったベルとも結婚し、順調に勝ち進むスティーヴだったが、人気が出始めると……。
The Prizefighter and the Lady - Wikipedia
『プロボクサーとレディ』は、マーナ・ロイとプロボクサーのマックス・ベア、プリモ・カルネラ、ジャック・デンプシー主演の1933年プレコード・メトロ・ゴールドウィン・メイヤーのロマンス映画です。 この映画はフランシス・マリオンの小説をジョン・リー・マヒンとジョン・ミーハンが映画化したものである。 マリオンはアカデミー賞脚本賞・原作賞にノミネートされた[2]。
Directed by | W. S. Van Dyke Howard Hawks (uncredited) |
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Written by | Frances Marion (story) John Lee Mahin John Meehan |
Produced by | W. S. Van Dyke Hunt Stromberg |
Starring | Myrna Loy Max Baer Primo Carnera Jack Dempsey |
Cinematography | Lester White |
Edited by | Robert Kern |
Music by | Frank Skinner Paul Marquardt |
Distributed by | MGM |
Release date |
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Running time |
102 minutes |
Country | United States |
Language | English |
Budget | $682,000[1] |
Box office | $933,000[1] |
- Myrna Loy as Belle
- Max Baer as Steve
- Primo Carnera as Carnera
- Jack Dempsey as Promoter
- Walter Huston as Professor
- Otto Kruger as Willie Ryan
- Vince Barnett as Bugsie
- Robert McWade as Adopted Son
- Muriel Evans as Linda
- Jean Howard as Show Girl
- Garry Owen as Jake - Fight Promoter
この映画はベアとカルネラにとって映画デビュー作となった。
一方、デンプシーは1920年代の『デアデビル・ジャック』まで遡り、すでに多くの映画に出演していた。
プロボクサー、俳優。ネブラスカ州オマハ出身。元世界ヘビー級王者。
1930年8月25日、フランキー・キャンベルと対戦し、5回TKO勝ち。ベアのパンチが原因でキャンベルは翌26日に死去した。
1932年8月31日、アーニー・シャーフと対戦し、10回判定勝ち。シャーフは1933年2月10日のプリモ・カルネラとの試合でKO負けし、2月14日に死去したが、当時のスポーツ記者の中には、ベアとの試合でのダメージを原因に挙げるものもいた[2]。
1933年6月8日、元世界ヘビー級王者マックス・シュメリングと対戦し、10回TKO勝ち。この試合は1933年のリングマガジン ファイト・オブ・ザ・イヤーに選出された。
1934年6月14日、世界ヘビー級タイトルマッチで王者プリモ・カルネラに挑戦。11度のダウンを奪った上での11回TKO勝ちで王座を獲得した[1]。
1935年6月13日、世界ヘビー級タイトルマッチでジェームス・J・ブラドックと対戦。圧倒的有利と見られていたが、15R判定負けを喫し王座から陥落した。この試合は1935年のリングマガジン アップセット・オブ・ザ・イヤーに選出され、2005年にはブラドックを主役とした映画『シンデレラマン』として実写化された。
1935年9月24日、再起戦でジョー・ルイスと対戦し、4回KO負け。この試合は1935年のリングマガジン ファイト・オブ・ザ・イヤーに選出された(2度目)。
1938年3月11日、トミー・ファーと対戦し、15回判定勝ち。この試合は1938年のリングマガジン アップセット・オブ・ザ・イヤーに選出された。
1941年4月4日の試合を最後にボクシングから引退。
ボクサー引退後は俳優として活動した。
イタリアのプロボクサー、プロレスラー。フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州セクアルス出身。
元世界ヘビー級王者。
- ギャングと関わりを持っていた疑惑があり、1929年11月18日のヤング・ストリブリング戦、同年12月7日のストリブリングとの再戦は八百長試合と言われている。1930年4月14日にカリフォルニア州で行ったレオン・シュヴァリエとの試合も八百長試合と見なされ、カルネラはカリフォルニア州から追放処分となっている。1931年10月5日の「タイム」の記事では、カルネラに負けなければ殺すと脅されたとシュヴァリエが述べており、他にも1930年1月24日のビッグ・ボーイ・ピーターソン戦、同年1月30日のエルゼアル・リオックス戦、同年2月6日のカウボーイ・ビリー・オーウェンズ戦、同年6月23日のジョージ・ゴッドフリー戦が八百長疑惑があると書かれている。
元世界ヘビー級王者。
予告
この兄ちゃん、いけるやん
当たりだわ
運命のおねえちゃんと事故った
実は田岡組長のお嬢
入籍しますた
おっかけ嬢をつまみ食い
現役ボクサー様、まさかのレビュー出演
組長「帰って来いよ」
当時のボクシング界のビッグネーム&レジェンド紹介
記念撮影
ハワード・ホークスが最初の監督だったが、クラーク・ゲーブルではなく、俳優ではないベアと仕事をすることになると知り、撮影現場を去った。 MGMはホークスに代わってW・S・バン・ダイクを起用した。
シンジケートの親分衆が出て来てタメ口のボクサーとか。