10. ロスト・ワールド
68分 モノクロ・サイレント 1925年
原題「The Lost World」
監督:ハリー・O・ホイト
主演:ベッシー・ラヴ、ルイス・ストーン、ウォーレス・ビアリー
恐竜の生存を信じる一行は、アマゾンの未開地へと向かう。
A・コナン・ドイルの小説を原作に、
『キング・コング』で有名なW・オブライエンが特撮を手がけた恐竜映画の古典。
『ロスト・ワールド』(英: The Lost World)は、アーサー・コナン・ドイルの『失われた世界』を元にした、1925年のアメリカ映画(無声映画)。55分。完全版は100分。
当時のハリウッドの大手スタジオであるファースト・ナショナル・ピクチャーズが製作・配給したこの映画は、ウォレス・ビアリーがチャレンジャー教授役で主演し、『キング・コング』(1933年)の先駆者であるウィリス・オブライエンによる先駆的なストップモーション特殊効果を特色としている。 ドイルは映画の口絵に登場するが、現存する版画には存在しない。
1998年、『ロスト・ワールド』は米国議会図書館によって「文化的、歴史的、または美的意味がある」とみなされ、米国国立フィルム登録簿への保存対象に選ばれた[3][4]。 古いため、この映画は現在パブリックドメインにあります。
監督 | ハリー・O・ホイト |
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脚本 | マリオン・フェファックス |
製作 | アール・ハドソン ワッタースン・ロサッカー |
出演者 | ウォーレス・ビアリー ベッシー・ラヴ ルイス・ストーン アーサー・ホイト |
音楽 | R・J・ミラー |
撮影 | アーサー・エディソン ホーマー・スコット デイヴ・ジェニングス |
配給 | ファースト・ナショナル |
公開 | 1925年6月22日 1925年8月5日 |
上映時間 | 106分(オリジナル版) 55分(16ミリフィルム版) 64分(1991年版) 100分(1998年版) |
製作国 | アメリカ合衆国 |
言語 | 英語 |
- ポーラ・ホワイト:ベッシー・ラヴ
- ジョン・ロクストン:ルイス・ストーン
- チャレンジャー教授:ウォーレス・ビアリー
- サマリー教授:アーサー・ホイト
- エド・マローン:ロイド・ヒューズ
- グラディス・ハンガーフォード:アルマ・ベネット
- チャレンジャー夫人:マーガレット・マクウェード
フル動画 92分ロングバージョン
ドイルの原作が1912年
本作の舞台となる台地は、ギアナ高地のテーブルマウンテン、ロライマ山がモデルと言われている。
ギアナ高地のベネズエラ、ガイアナ、ブラジルの三つの国境にまたがっている。ギアナ高地にはロライマ山と同様の台形状の山が数多くある。こちらは先住民の言葉でテプイと呼ばれる。「ヴィーナスの壺」と呼ばれる食虫植物のヘリアンフォラ、モウセンゴケ、スジバネクワガタなど4000種の動植物が生息する。
19世紀ブリカスのマッドサイエンティスト
ジョージ・エドワード・チャレンジャー(George Edward Challenger)、通称チャレンジャー教授(Professor Challenger)は、アーサー・コナン・ドイルによる一連のSF小説に登場する架空の人物。同じくドイルによるシャーロック・ホームズがくつろいだ思索的な人物であるのに対して、チャレンジャー教授は攻撃的・威圧的な人物である。
ドイルは、自身の作品の中で一番好きなキャラクターはシャーロック・ホームズではなくチャレンジャー教授であると頻繁に述べていた。(らしい)
取材に行かせてください
基地外博士「恐竜はいま~す」
父ちゃん取り残されてるってマ? 社から取材費出してもらって助けに行こうz
か~わぐち、ひろしわ~
あの上にいる
翼竜発見
おとなしい草食竜
トリケラ
ヤバいやつ
トリケラ凹され
崖から押し出し
寄り切りでヤバい奴の勝ち
着ぐるみコングもおるでよ
父ちゃんの遺留品
火山噴火&山火事
縄ハシゴ持って来た
だだだだ誰や‼ロンドンに恐竜連れて来た奴!
ゴジラの起源
ロンドンブリッジイズフォーリンダウン
メイキング
ビッグモーター副社長が出てるの気付かなかった
著者のコナンくん
恐竜に興味を持ったきっかけは、博物館で復元された骨格を見たことと、アーサー・コナン・ドイルのSF小説『失われた世界』(1912年)を読んだことから。その後、初めての線画アニメである『恐竜ガーティ』(1914年)に影響され、自主製作で映像作品を撮り始める。その結果、ストップモーション・アニメを独自に開発した。代表作のひとつである『ロスト・ワールド』は、7年がかりで製作している。
『ロスト・ワールド』、『キング・コング』など「映画界の古典」といえる作品の特殊効果マンとして知られ、これらを観た数多くの少年達をクリエイターの道へと誘った。しかし、技術の流失を恐れ、弟子は取らない主義だった。唯一の例外がレイ・ハリーハウゼンであり、彼は著名なクリエイターとなったため、オブライエンは彼の師匠としても名を知られている。
キング・コング (1933年の映画) - Wikipedia
弟子のレイ・ハリーハウゼンが後を継ぎ
これを激安でパクった円谷
これ米映画。どんだけ英国を
ご丁寧に怪獣総踊りまでパクってる
東宝オールスター
まあリスぺということで
ところでモスラが横田基地を踏みつぶして爆進するシーン
これを見たパヤオがパクる
モスラがニューヨークを空襲したように
オームも孵化して大暴れする予定だったらしい
予算か締め切りの都合でカットした結果が大海嘯www
その熾火が狭山事件闘争の想いでぽろぽろ
大事なこと忘れてた。
ネッシー(英: Nessie)は、イギリス、スコットランドのネス湖で目撃されたとされる、未確認動物「ネス湖の怪獣 (Loch Ness Monster、ロッホ・ネス・モンスター)[1]」の通称。未確認動物の代表例として世界的に知られ、20世紀最大級のミステリーとして語られてきた。
目撃例が飛躍的に増えたのは1933年以降で、これはネス湖周辺の道路がこの頃整備されたためとされる。同年5月、湖畔でホテルを経営するマッケイ夫妻による目撃談が新聞報道され、話題を呼んだ。なお、これは『キングコング』がスコットランドで公開されたわずか4日後であった(同作にはネッシーと特徴が共通する竜脚類が登場する)。11月にはヒュー・グレイによる最初の写真が撮影、公表された。1934年4月にはいわゆる「外科医の写真」(後述)が『デイリー・メール』紙に掲載され、大きな反響があった[7](1990年代になって、前述のマッケイ夫人による、グレイ写真以前の撮影とされる写真が公表されている)。
ロンドンの外科医(実際は産婦人科医)、ロバート・ケネス・ウィルソンは、その主張によると、1934年4月の早朝、友人と共に鳥の写真を撮りにネス湖を訪れ、突然湖面に現れたネッシーを、持っていたカメラで撮影した。この写真は『デイリー・メール』紙に掲載され、「外科医の写真」と称されて話題を呼んだ。岸が写っておらず、ネス湖を撮影したという確証はなかったが、首長竜を思わせる長い首が写されており、長らくネッシーの代表的写真として知られてきた。
しかし1993年11月、クリスチャン・スパーリングが死の間際に、この写真がトリックであったと告白した。告白によると、首謀者は彼の養父マーマデューク・ウェザラルであり、彼らは、自ら発見したネッシーの足跡を偽物と判定された意趣返しに、おもちゃの潜水艦に30センチメートルほどのネッシーの首の模型を付けた物を撮影したという。そして、知人であるウィルソンの医師という社会的地位に目をつけ、偽証を依頼したとのことである。エイプリルフールのジョークのつもりだったが、世界的な話題になったことで引くに引けなくなったとのことである[8]。この告白は翌1994年3月、イギリスの『サンデー・テレグラフ(英語版)』紙に掲載された。
なお、スパーリングの告白以前からこの写真はネッシー肯定派からも証拠としての価値へ疑問が提示されていた。「外科医の写真」は、既に1960年代より、写真に写る波の大きさや形状から、被写体が大型生物ではなく、数十センチメートル程度の物体であることが指摘されており、水鳥やカワウソの尾の誤認説が唱えられてきた。また1980年代には、研究者により、対岸が写った元の写真が発見された。これにより被写体が実際に小さかったことが証明されたのみならず、公表者が被写体の小ささを隠すために、意図的にトリミングした写真を公開した疑いも指摘された。
朝日の起源はブリカス。