2. 進め龍騎兵
115分 モノクロ 1936年
原題「The Charge of the Light Brigade」
監督:マイケル・カーティス
主演:エロール・フリン、オリヴィア・デ・ハヴィランド
クリミア戦争を題材にした戦争アクション大作。
主演二人の切ないロマンスや、600人の龍騎兵が命懸けで敵に突き進んでいく圧巻のクライマックスなど見所満載!

 

The Charge of the Light Brigade (1936 film) - Wikipedia

Picture of The Charge of the Light Brigade (1936)

『The Charge of the Light Brigade』(光の旅団の突撃)は、エロル・フリンとオリヴィア・デ・ハビランド主演のワーナー・ブラザース製作の1936年のアメリカの歴史冒険映画です。 マイケル・カーティスが監督し、サミュエル・ビショフがプロデュースし、ハル・B・ウォリスが製作総指揮を務めた。 

この映画の脚本はマイケル・ジャコビーとローランド・リーによるもので、マイケル・ジャコビーの小説を基にしており、テニスン卿アルフレッドの1854年の詩「光の旅団の突撃」に基づいている。 音楽はワーナー・ブラザース初となるマックス・スタイナーが作曲し、撮影はソル・ポリトが担当した。 

シーンはカリフォルニアの次の場所で撮影されました: ローン パイン、シャーウッド レイク、ラスキー メサ、チャッツワース、ソノラ。 シエラネバダ山脈はカイバル峠のシーンに使用されました。

 

Directed by Michael Curtiz
Screenplay by
Based on original story
by Michel Jacoby
Starring
Cinematography Sol Polito A.S.C.
Edited by George Amy
Music by Max Steiner

Production
company

Warner Bros. Pictures

Distributed by Warner Bros. Pictures

Release date

  • October 20, 1936 (USA)

Running time

115 minutes
Country United States
Language English
Budget $1,330,000[1] or $1,076,000[2]
Box office $3,382,000[2]

 

 

予告

 

 

兄ちゃん出張中に弟が婚約者をNTR

The Charge of the Light Brigade (1936) — The Movie Database (TMDB)

腹いせにニセの命令書を捏造して無謀な突撃

The Charge of the Light Brigade (1936)

ほぼ203高地状態。

The Tragic True Story Of The Charge Of The Light Brigade

因みに本編中にこういうシーンは一瞬もない。

デ・ハビランドは弟の方とイチャイチャ。

Picture of The Charge of the Light Brigade (1936)

突撃シーンの撮影により25頭の馬が死亡し、映画監督やプロデューサーによるさらなる残虐行為を防ぐために米国議会による立法措置とASPCAによる措置が講じられた。

ソース画像を表示 ラストの見せ場は馬大虐殺ショー

戦場のセットには、突進してくる騎兵の馬をつまずかせるためのトリップワイヤーが並べられていました。 このクライマックスの撮影では、125 頭の馬がつまずきました。 そのうち 25 名が殺害されるか、その後鎮圧された。 熟練した騎手であるエロル・フリンは、動物虐待とマイケル・カーティス監督の無関心に見えることに激怒した。 彼はカーティスを攻撃したが、深刻な被害が出る前に引き離された。 この映画の突撃シーケンスにより、後に米国議会は将来の映画における動物の安全を確保することを余儀なくされた。 ASPCAもこれに倣い、すべての映画からトリップワイヤーを禁止した。 フリンの他の大作とは異なり、突撃シーンで多くの馬が殺されたため、この映画はワーナー・ブラザースによって再公開されることはなかった。ワーナー・ブラザースがこの作品や1950年以前の他の作品の権利を売却した1956年まで再び上映されることはなかった。 アソシエイテッド・アーティスツ・プロダクションズに映画を送り、その後テレビでも初公開された。 このシーンは後にアイアン・メイデンのヒット曲「ザ・トルーパー」のミュージック・ビデオで使用され、MTVで禁止されたことで有名になった。

 

この映画「ベンガルの槍騎兵」(1935年)をパチったらしい。

 

 

 

「Light Brigade」を翻訳したら「軽旅団」

ググってみたら

バラクラヴァの戦い - Wikipedia

バラクラヴァの戦い(バラクラヴァのたたかい、Балакла́вское сражение: Battle of Balaclava)は、クリミア戦争中の戦いの一つである。 ロシア軍のセヴァストポリ救援部隊が、イギリスフランストルコ連合軍がセヴァストポリ攻略のための足場としていたセヴァストポリ近郊のバラクラヴァへ攻撃したことで始まったが、連合軍がロシアの攻撃を防ぎきって戦いが終わった。

軽騎兵旅団の突撃

ロシア砲兵が連合軍補給路を攻撃出来る場所へ展開することを防ぐために、ラグラン男爵フィッツロイ・サマセットen)は軽騎兵旅団に対してロシア砲兵の移動を阻止するよう命令を出した。しかし、連絡将校ルイス・ノーランen大尉が命令を誤って伝えたため[注 1]、第7代カーディガン伯爵ジェイムズ・ブルデネルen)率いる軽騎兵旅団673名がロシア軍砲兵陣地に正面から突撃し、死傷者278名という大損害を被った。この突撃は軽騎兵旅団の突撃(Charge of the Light Brigade)と呼ばれ、無謀ではあるが勇敢であると評価されており、数多くの絵画や文学、音楽等の創作の題材となっている。アルフレッド・テニスンも物語詩「The Charge of the Light Brigade」でその勇敢さを讃えている。また、1936年(邦題:すすめ龍騎兵)1968年(邦題:遥かなる戦場)には同じ題名で映画化されている。

 

 

クリミア戦争 1853年10月16日 - 1856年3月30日

この頃

黒船来航 - Wikipedia 嘉永6年(1853年)に代将マシュー・ペリーが率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の蒸気船2隻を含む艦船4隻が日本に来航した事件。

 

いきなり黒船が来て大騒ぎだと学校で習ったけど、実際には交渉しやすい二等国である米国を敢えて選んさ上での開国交渉だった。

当時の英国は世界最恐で最狂だったのだけれど、クリミア戦争で日本どころじゃないこのタイミングで呼び込んだ感じ。

後で英国から何か言われても「米国と同じで!」で躱す目論見。

そう言えばペリー提督って「黒船」の後どうなった?幕末の素朴な疑問を紹介 | 歴史・文化 - Japaaan