3. 決死の報道
108分 モノクロ 1942年
監督:ウェズリー・ラッグルス
主演:クラーク・ゲイブル ラナ・ターナー
従軍記者であるジョニーとカークのデイヴィス兄弟は、ひとりの女性記者ポーラを
巡って対立していた。ある日彼女はインドシナへの取材に派遣されたが、現地で
行方不明になったとの知らせが届く。そのとき兄弟は……。

 

Somewhere I'll Find You - Wikipedia

Picture of Somewhere I'll Find You

『Somewhere I'll Find You』はウェスリー・ラグルス監督、クラーク・ゲーブルとラナ・ターナー主演の1942年の映画で、メトロ・ゴールドウィン・メイヤーからリリースされた。 この映画は完成までにほぼ2年かかり[要出典]、ゲーブルが第二次世界大戦でアメリカ陸軍航空隊に入隊する前に主演した最後の映画となった。 彼の次の映画は戦後の冒険 (1945) でした。

 

Directed by Wesley Ruggles
Screenplay by Marguerite Roberts
Walter Reisch (adaptation)
Based on Somewhere I'll Find You
1940 story in Cosmopolitan
by Charles Hoffman
Produced by Pandro S. Berman
Starring Clark Gable
Lana Turner
Cinematography Harold Rosson
Edited by Frank E. Hull
Music by Bronislau Kaper
Distributed by Metro-Goldwyn-Mayer

Release dates

  • August 27, 1942 (New York City)
  • October 1, 1942 (Los Angeles[1])

Running time

108 minutes
Country United States
Language English
Budget $1 million[2]
Box office $4 million[2]

 

 

 

 

 

日米関係良好の記事で行くつもりの編集長。

独から帰国したばかりの記者が交渉決裂、日本の陰謀を煽る記事に悪知恵で差し替える。

Ill find you hi-res stock photography and images - Alamy

弟の彼女を兄が横取りする。

Somewhere I'll Find You に対する画像結果

NYに入る時に自由の女神を恋人に例えていたので、ラナ・ターナーは仏。これを兄弟で奪い合う構図となると髭のゲーブルがヒトラー。噓吐きで女たらしで女子もメロメロなんで間違いない。

この当時既に仏は独に傾倒していた、との認識。

 

ラナ・ターナーも記者でインドシナへ取材に行くとか何とか言ってたけど、割と冷酷に弟を振ってたんで観てる自分が怒り心頭、ブチキレて視聴停止。

Laura's Miscellaneous Musings: Tonight's Movie: Somewhere I'll Find You ...

鉄鉢かぶってるんで記者のくせに戦争やるのかもしれん。

ソース画像を表示

ちょっと冷静になって思い出したのが或る夜の出来事 - Wikipedia

新聞記者で、結婚予定の女子を色仕掛けで落とす展開だった。米国人は好きらしいけど、自分は無理。

 

 

この映画は、非常に人気のあるゲーブルとターナーの組み合わせの別の手段としてデザインされました。 1941年の『ホンキー・トンク』での成功を受けて、MGMはこの新しいチームを活用しようとしており、ゲイブルが女優のジョーン・クロフォード(8作)、ジーン・ハーロウ(6作)、マーナ・ロイと組んだ時の興行収入の魅力を再現したいと考えていた。 1930年代の(7本の映画)。 撮影が始まると、ゲイブルとターナーは友好的な協力関係を続けた。

Honky Tonk (1941 film) - Wikipedia

ホンキートンク - Wikipedia

ホンキートンクと言えば横浜

横浜と言えば石黒ケイ

 

 

ゲーブルの妻で女優のキャロル・ロンバードが飛行機事故で死亡したため、撮影は1か月間中断された。 ゲーブルは死別のため一定期間撮影を休業することが認められ、スタジオは映画をほぼ白紙に戻した。 『Red Light』というタイトルに変更されたが、リリース前に『Somewhere I'll Find You』に戻された。 これは、第二次世界大戦中の兵役前にゲーブルが制作した最後の映画となった。 彼は 1945 年まで別の映画を制作しませんでした。

 

この映画は、『ホンキートンク』(1941年)のゲーブルとターナーの組み合わせと同様、興行的に成功を収めた。 その後、二人はさらに 2 本の映画、『帰郷』(1948 年)と『裏切り』(1954 年)を共同制作しました。 「Somewhere I'll Find You」と同様、これらの映画は両方とも、ゲーブルとターナーが第二次世界大戦で戦友や恋人として活躍しました。

帰郷 (1948年の映画) - Wikipedia

Betrayed (1954 film) - Wikipedia

 

 

 

大事なこと忘れてた。

Somewhere I'll Find You (1942)

ロシア料理の店に連れてって口説くシーン。

ここで頭がぶっ飛んだ学者キャラのおっさんが出て来て世界の終わりを予言する。

それが1987年。

ソビエト連邦の崩壊 - Wikipedia

1988年 - 1991年にかけてソビエト社会主義共和国連邦が内部分裂を起こし、単一の主権国家としての存続を終了した出来事である。

 

コミンテルンがこの映画を作ってる証拠。