8. G.I.の休暇
92分 モノクロ 1951年
監督:アレクサンダー・ホール
主演:デヴィッド・ウェイン、トム・イーウェル
相棒のジョーが死んだと思い込んでいたウィリーだったが、ジョーがナポリの病院に入院していることを知り、ジョーに会いにやって来た。
彼ら二人が巻き起こす事件をコメディタッチで描いた漫画が原作の戦争映画。

 

Up Front (film) - Wikipedia

Up Front (1951)

『アップ・フロント』は、ビル・モールディンの第二次世界大戦の登場人物ウィリーとジョーを大まかにベースにした、アレクサンダー・ホール監督、トム・イーウェルとデヴィッド・ウェイン主演の1951年のアメリカのコメディ映画です。 モールディンはそれを拒否し、顧問料を拒否した。 彼はそれを一度も見たことがないと主張した[2]。 舞台は第二次世界大戦のイタリア戦線

Willie and Joe - Wikipedia

Bill Mauldin Editorial Comic Strip Original Art (undated). Originals in ...

ビル・モールディン - Wikipedia

Bill Mauldin: Drawing Fire – Rolling Stone

ウィリアム・ヘンリー・モールディン (/ˈmɔːldən/; 1921 年 10 月 29 日 - 2003 年 1 月 22 日) は、アメリカの編集漫画家であり、その作品で 2 つのピューリッツァー賞を受賞しました。 彼は、典型的な登場人物であるウィリーとジョーに代表されるアメリカ兵を描いた第二次世界大戦の風刺画で最も有名でした。ウィリーとジョーは、現場で任務の困難と危険にストイックに耐える疲れ果てて足を引きずった二人の歩兵です。 彼の漫画はヨーロッパ全土の兵士に人気があり、米国の民間人にも人気がありました。 しかし、彼の 2 回目のピューリッツァー賞は 1958 年に出版された漫画に対するもので、おそらく彼の最も有名な漫画はケネディ暗殺後のものでした。

Bill Mauldin – Who's Out There?

 

第二次世界大戦の有名な漫画が原作。イタリア戦線で活躍する低俗なGIのウィリーとジョーは、戦闘では優秀な兵士だが、ガンホー大尉ジョンソンやその他の軍の悪党たちのふざけた態度に、痛烈なコメントを連発する。 ナポリでの 3 日間の旅行中、ジョーはワインと女性に興味があり、甘美なエミ ロッソと密造酒業者の父親とのペアを巻き込みます。彼らのもつれた事情により、二人はますます深刻な問題に陥ります。

 

Directed by Alexander Hall
Screenplay by Stanley Roberts
Produced by Leonard Goldstein
Starring David Wayne
Tom Ewell
Marina Berti
Cinematography Russell Metty
Edited by Milton Carruth
Music by Joseph Gershenson

Production
company

Universal-International

Distributed by Universal-International

Release date

  • March 5, 1951

Running time

92 minutes
Country United States
Language English
Box office $1.95 million (US rentals)[1]

 

 

 

 

 

主役の二人

David Wayne as Joe

Tom Ewell as Willie

Up Front (1951) DVD - Zeus

ジョーが負傷してナポリの病院へ搬送。

相棒のウィリーが見舞いに行ったら軽傷で仮病。

UP FRONT, from left, Tom Ewell, David Wayne, 1951 Stock Photo - Alamy

軍服盗んで病院から脱走。

美人エミをナンパ。弟が密造酒の密売人

Marina Berti as Emi Rosso

UP FRONT, from left, Tom Ewell, David Wayne, Marina Berti, 1951 Stock ...

父親の密造所が摘発されて裁判。

ウィリーが機転を利かせて無罪。

Tom Ewell in film Up Front based on World War II characters Willie ...

帰宅したら密造酒の引き取りにトラック。

盗難された軍需品満載。

これを窃盗グループから奪って前線基地に帰還。

MPがこれを追跡。

増援と誤解した独軍撤退。

 

 

需品科です。

 

 

 

原作が戦場漫画ってことで

 

時代的にはこっち。

のらくろ - Wikipedia

大日本雄辯會講談社(現・講談社)の雑誌『少年倶楽部』にて1931年から連載された。連載のきっかけは、『少年倶楽部』の人気小説『あゝ玉杯に花うけて』の作者である佐藤紅緑が、当時の編集長である加藤謙一に対し、「もっと漫画を載せたらどうか。漫画は家中みんなで読めるし、なにより誌面が明るくなるからね」とアドバイスをしたことにあったという[1]。これをうけて、加藤は田河に漫画作品を依頼。田河は「男の子が好きなものを組み合わせれば人気が出るだろう」と、「犬」と「軍隊」をモチーフとした作品を考案したと述べている。のらくろの姿は、アメリカのアニメ『フィリックス・ザ・キャット』の黒猫フィリックスにヒントを得て発想された。

当初は実際の兵役同様「志願兵で2年満期除隊」という構想で、最初失敗続きだったのらくろが後半少し手柄を上げたのち、めでたく除隊となる予定だった。しかし、非常に人気が出たため、伍長(下士官)に昇進させて作品が続くこととなった。

「のらくろ」は日本の漫画の黎明期の作品として大きな人気を獲得、手塚治虫長谷川町子(田河の弟子となった)などにも大きな影響を与えた。劇場映画用として短編アニメもすでに戦前につくられている。漫画作品にとどまらず子供向けの商品にも次々にのらくろが登場した(ただし著作権の法律が確立されていなかった時代だったので、ほとんど原作者や出版社の無許諾商品)。

のらくろをモチーフにした戦争柄の男の子の着物1933年(昭和8年)

戦前発表の漫画としては稀有な長期連載となっていたが、1941年太平洋戦争開始直前の状況もあり、内務省役人から「この戦時中に漫画などというふざけたものは掲載を許さん」という指導が入り、編集長は、やむなく打ち切りにしたと述べている[2]

 

 

 

 

ちょっと待て。1931年。

創価学会発足の翌年。

田河水泡の経歴視ると教育関係じゃないけど、日本美術学校(現・日本美術専門学校)卒となってるんでもしかしたらもしかするかも。

創価の牧口・戸田両氏、1930年の時点では会報を配る程度で、組織化については数年後、日蓮正宗に入信してから。これは想像だけど、立正安国論(蒙古脅威論)の日蓮宗を組織的に掌握して日本の危機感を煽り軍国熱に油を注ぐポジション。

田川水泡は元軍人ということで軍国漫画と言われても違和感無いし、当時の空気からして軍人=ジャニーズみたいなもんだったからある意味自然な流れだったんだろうけど、でも疑ってみた方が良さそう。創価の戸田は出版関係だったし。もしかしたら松本零士も反米親ソなんであっち側もあり得るし。

 

 

 

イタリア戦線で現地の子供や女子との交流、となるとロッセリーニを間違いなく観てる。

戦火のかなた - Wikipedia