6. 愛憎の曲
107分 モノクロ 1946年
原題「Deception」
監督:アーヴィング・ラパー
主演:ベティ・デイヴィス、ポール・ヘンリード、クロード・レインズ
感動的再会を果たした音楽家の恋人同士。
忽ち結婚するも、彼女の愛人である名指揮者が現れ……。
個性派俳優クロード・レインズとベティ・デイヴィスの強烈な演技がぶつかり合う!

 

Deception (1946 film) - Wikipedia

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『デセプション』は、ワーナー ブラザーズからリリースされ、アーヴィング ラッパーが監督した 1946 年のアメリカのフィルム ノワール ドラマです。 この映画は、ルイ・ヴェルヌイユによる 1927 年の戯曲『ムッシュ・ランベルティエ』を基にしています。 脚本はジョン・コリアーとジョセフ・タンによって書かれた。 主演はベティ・デイヴィス、ポール・ヘンリード、クロード・レインズで、3人は大成功を収めた『ナウ・ヴォイジャー』(1942年)にも共演していた[3]。

 

Directed by Irving Rapper
Screenplay by John Collier
Joseph Than
Based on Monsieur Lamberthier
1927 play
by Louis Verneuil
Produced by Henry Blanke
Starring Bette Davis
Paul Henreid
Claude Rains
Cinematography Ernest Haller
Edited by Alan Crosland Jr.
Music by Erich Wolfgang Korngold
Distributed by Warner Bros.

Release date

  • October 18, 1946 (United States)

Running time

112 minutes
Country United States
Language English
Budget $2,882,000[1]
Box office $2.3 million (US rentals)[2] or $2,262,000[1]

 

予告

 

オチを先に見せといて本編で話を追ってスッキリ?

Poster - Deception (1946) | Movie posters vintage, Bette davis, Claude ...

 

この映画は、1927年にパリで初演されたルイ・ヴェルヌイユの戯曲『ムッシュ・ランベルティエ』を基にしたもので、1928年10月22日にマキシン・エリオット劇場で『ジェラシー』としてブロードウェイでツーハンド(主役が2人だけの劇)として開幕した。 キャラクター)、フェイ・ベインターとジョン・ハリデーと共演。 これは、ジャンヌ・イーゲルスとフレドリック・マーチ主演で、ジャン・ド・リムール監督により、『嫉妬』(1929年)というタイトルで映画化された。 この劇は、1946年10月1日にプリマス劇場でユージェニー・レオントヴィッチとベイジル・ラスボーン主演で『オブセッション』というタイトルでブロードウェイで再演された。 ワーナー・ブラザースは当初、バーバラ・スタンウィックとポール・ヘンリードの媒体としてこの劇を購入した[4][5]。

TCMによると、デイヴィスは『ディセプション』を劇中と同様に2人の人物が登場する映画にしたいと考えていたという[6]。 劇中ではレインズが演じるキャラクターが電話の声を担当している[7]。 1929 年の映画はパリが舞台で、登場人物はドレス ショップのオーナー、彼女が結婚する若い芸術家、そして彼女のためにドレス ショップを買った年老いた大通り店主です。 青年は告白し、彼が簡単に降りられることを期待して劇は終わる[8]。 グレン・エリクソンは次のように述べています。「原作の戯曲では、カレル・ノヴァクの登場人物は結末で暴力に駆り立てられるので、『デセプション』はハリウッドのスター車のニーズによって歪められた戯曲の例かもしれない。」 また、作品を台無しにしているのは、長年の未婚セックスを認めた後に幸せを見つけた女性を受け入れるつもりのなかったプロダクション規約です。」

映画の仮タイトルは「彼女の良心」だったが、デイヴィスは反対した。 タイトルの「Jealousy」は入手できなかった[10]。

ポール・ヘンリードは、ベティ・デイヴィスと再び仕事をするのは楽しかったが、アーヴィング・ラッパーとはうまくいかなかったと述べ、2人はほとんど会話を交わさなかった[11]。

 

ターナー・クラシック・ムービーズでのアリシア・マローンの紹介によると、デイヴィスがベートーヴェンのピアノ・ソナタ第23番作品57ヘ短調(熱情)をピアノ・ソロで演奏している最中に、ピアニストのシュラ・チェルカスキーの手が画面上に映ったという話が根強く残っているが、事実はデイヴィスが 非常に徹底的にリハーサルを行ったので、最初のテイクで録音した再生と完璧に同期することができました。 実際、デイヴィスはカメラの前でライブで演奏できるほど上手になりたかったが、監督のアーヴィング・ラッパーは、誰も信じないから努力の価値はないと彼女に告げたとマローンは付け加えた。

ヘンレイドのチェロ演奏は、現在著名なチェロ奏者であるフレデリック・ズロトキンを妊娠中のエレノア・アレルが吹き替えた。 彼女の父親、グレゴリー・アラーはヘンレイドにもっともらしい弓の動きを指導した[12]。 いくつかのシーンでは、ヘンレイドの腕は後ろで縛られ、2人のチェロ奏者が特別にデザインされたコートの袖に腕を通した[13]。

ホレニウスのチェロ協奏曲は、この映画の音楽を作曲したエーリッヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトによって書かれました。 その後コルンゴルトはこの資料を拡張し、自身のチェロ協奏曲として出版しました。 映画の冒頭近くで、熱心な学生記者ジェリー・スペンサー(リチャード・アードマン)がカレルに「存命の作曲家のうち誰を尊敬すべきですか?」と尋ねます。 カレルは反対しますが、誰が一番好きかと問われると、こう答えます。「現在を考えるときはストラヴィンスキー、過去を考えるときはリヒャルト・シュトラウス、そしてもちろん、今日のリズムと昨日のメロディーを組み合わせたホレニウスです。 」 最後はコルンゴルトの適切な説明であり、おそらくコルンゴルトへのトリビュートです。

ベティ・デイヴィスは撮影中に妊娠していることが判明した[5]。

 

 

ホレニウスのチェロ協奏曲

 

エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト - Wikipedia

Erich Wolfgang Korngold

エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト[1](Erich Wolfgang Korngold, 1897年5月29日 - 1957年11月29日)は、オーストリア出身のアメリカ合衆国作曲家指揮者。神童として知られ、ハリウッド史上最も重要な作曲家の一人となった。

音楽評論家・ユリウス・コルンゴルトの次男として、モラヴィア地方のブリュン(現在はチェコのブルノ)に生まれた。幼い頃から作曲の才能を示し、モーツァルトと同じ名前と相まって「モーツァルトの再来」と呼ばれる程の神童ぶりであった。9歳の時に作曲したカンタータを聴いたマーラーは、「天才だ!」と叫び、11歳の時に作曲したバレエ音楽『雪だるま』(Der Schneemann)はウィーン宮廷歌劇場で皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の御前演奏として初演され、万雷の拍手をもって迎えられた。

その後も快進撃は続き、12歳で書いた『ピアノソナタ第1番 ニ短調』はリヒャルト・シュトラウスに戦慄と恐怖を与え、名ピアニスト、アルトゥール・シュナーベルは13歳の作品『ピアノソナタ第2番 ホ長調』(作品3)をヨーロッパ中に紹介し、ベルリン・フィルの大指揮者ニキシュは14歳のコルンゴルトに『劇的序曲』(作品4)を委嘱する。幼少時の『シンフォニエッタ』(作品5)を完成させた15歳の頃には、コルンゴルトは既にプロ作曲家として第一線で活躍していたのである。

ただし、バレエ音楽『雪だるま』のオーケストレーションはツェムリンスキーが補筆しており、『ピアノソナタ第1番 ニ短調』はマーラーの助言[2]を受けて改訂するなど、成人前は完全に独力で作曲していたわけではない。

Erich Wolfgang Korngold に対する画像結果

16~18歳で書いたオペラ『ポリクラテスの指環』(Der Ring des Polykrates、作品7)、『ヴィオランタ』(Violanta、作品8)はプッチーニの絶賛を受け、この成功によってオペラ作曲家としての地位を確立し、1920年、オペラ『死の都』(Die tote Stadt、作品12)の大成功によって、23歳にしてオペラ作曲家としての世界的評価を確立する。1927年、満を持して作曲したオペラ『ヘリアーネの奇跡』(Das Wunder der Heliane、作品20)を初演した当時、コルンゴルトの名声は頂点に達し、ウィーン市から芸術勲章を、オーストリア大統領からはウィーン音楽大学名誉教授の称号を贈られ、さらに1932年、大新聞『新ウィーン日報』のアンケートで、シェーンベルクと並んで存命する最高の作曲家に選ばれた。その後、管弦楽曲、協奏曲[3]、室内楽曲、歌曲、編曲と旺盛な音楽活動が続き、結局この時期が事実上、作曲家コルンゴルトの絶頂期であった。

1926年ザルツブルク音楽祭で新進の音楽プロデューサーマックス・ラインハルトと知り合い、彼の要請でヨハン・シュトラウスオペレッタこうもり』をミュージカルに編曲。ニューヨークでのブロードウェー公演の成功が縁となり、1934年、ラインハルトの招請でハリウッドに赴き、シェイクスピア原作の映画『真夏の夜の夢』の映画音楽として、メンデルスゾーン同名の劇音楽の編曲を行い、関係者の称賛を浴びる。

映画音楽と云う新しいジャンルに足を踏み入れたコルンゴルトであったが、この頃から彼の名声に陰りが出始める。その後、ウィーンとハリウッドを往復する日々を送りながら、『ヘリアーネの奇跡』以来久しぶりのオペラ『カトリーン』(Die Kathrin、作品28)を書き上げ、初演を間近に控えていた1938年ナチス・ドイツオーストリア併合により、『カトリーン』初演は流れ、ユダヤ系だったコルンゴルトはアメリカに亡命し、仕方なく映画音楽を書きながら亡命生活を送るよりなかった。亡命の際には多くの自筆譜をオーストリアに残してしまったが、友人の協力のおかげでそのほとんどを持ち出すことができ、持ち出せなかった曲も、記憶を元に復元した。

生活のためにオペラを諦め、映画音楽を書くことになったが、それでも美しい旋律、優れた管弦楽法は、緩みきった映画音楽業界に革命をもたらした。経営者側は彼のために高額な契約を結んだが、年間2作の作曲でよく、しかも旧来の作品の引用は自由と云う破格の待遇を与えていた。

1935年に、初期の傑作『海賊ブラッド』(Captain Blood)を書き大絶賛された翌年、1936年に『風雲児アドヴァース英語版)』(Anthony Adverse)でアカデミー作曲賞を受賞。40以上のライトモチーフを使い、オペラ並みの作品に仕上げている。ただ、あまりにも出来が良すぎて、賞はワーナーの音楽部門全体に贈られ、オスカーは音楽部長が受け取ってしまった。1938年には『ロビンフッドの冒険』で2度目のアカデミー賞に輝く(今度はコルンゴルト自身がオスカーを獲得)。コルンゴルトは最初、この作品のスコアを書くのを断ったのだが、ワーナー音楽部長の説得とナチス・ドイツによるオーストリア併合により仕方なく引き受け、オスカー獲得につながった。

コルンゴルトは映画音楽作曲をオペラ創作の延長上に見なしており、ロベルト・フックスやマーラー、リヒャルト・シュトラウスから直接学んだ後期ロマン派的作風を、そのまま映画音楽に持ち込んだ。また、気に入った映画音楽は自作の芸術音楽に転用できる権利も保有していた(実際、ヴァイオリン協奏曲や弦楽四重奏曲第3番などが作曲された)。大管弦楽団を使ったシンフォニック・スコアは、後のハリウッド映画音楽の基礎となり、映画音楽の先輩にあたるアルフレッド・ニューマンや、後世のジョン・ウィリアムズにも多大なる影響を与えた。

ヒトラーが倒れるまで純粋な音楽作品の創作を封印していたコルンゴルトにとって、第2次世界大戦の終結は転機となった。

1946年、『愛憎の曲英語版)』(Deception)を最後に、純音楽作曲家に戻るべく、新作を携えウィーンを訪れるも、当時の映画音楽に対する評価の低さや、後期ロマン派的作風は前衛音楽全盛の音楽業界から受け容れられず、「映画に魂を売った下等な作曲家」というレッテルを張られて事実上ウィーンの楽壇から抹殺され、失意の内にハリウッドに戻り、不遇の中、同地で1957年、脳出血で死去した。2曲目の交響曲を作曲中だった。遺体はハリウッドのハリウッド・フォーエバー墓地英語版)に埋葬されている。

戦後の主要作品として『ヴァイオリン協奏曲 ニ長調』(作品35、ハイフェッツが世界初演し、その後も愛奏した)や『弦楽合奏のための交響的セレナード』(作品39)、『交響曲 嬰ヘ調』(作品40、フランクリン・ルーズベルトの思い出に捧げられた)、『主題と変奏』(事実上最後の作品)などが挙げられる。

 

戦時中欧州で行方不明となってたポール・ヘンリード - Wikipedia

Paul Henreid

なんと二人羽織りで指使いを見せたシーンもあった。

 

先に渡米して生活基盤を得てたベティ・デイヴィス - Wikipedia

Deception (1946)

こちらは見事にシンクロする指使いを会得してた。

 

音楽会のドンクロード・レインズ - Wikipedia

Claude Rains in “Deception” | Chill'esperienzA

ベティ・デイヴィスの愛称がシャッツィchatsy=猫

高級アンティーク家具を置いた部屋で猫を飼うとか有り得ん。

ジャニさんには逆らえん・

 

向かって右側のおっさんがアルトゥーロ・トスカニーニ に見えてしょうがないんだけど、どこにも記述が見当たらない。

Il prezzo dell'inganno - Deception (1946) - CIAKHOLLYWOOD

劇中、クロードレインズの横暴ぶりが強調されてたけど、何気にトスカニーニをディスってるようにも見え。

当時のクラシック音楽界は昨今のアイドル的な位置づけだったりして。知らんけど。