4. 暁前の決断
119分 モノクロ 1951年
原題「Decision Before Dawn」
監督:アナトール・リトヴァク
主演:リチャード・ベースハート、ゲイリー・メリル
米軍の捕虜となった独軍衛生兵が、平和を願う信念から祖国ドイツにスパイとして潜入する。
しかし、秘密警察の執拗な追跡が彼を追いつめる。実話を基にした戦争映画の傑作!

 

夜明け前の決定-ウィキペディア (wikipedia.org)

夜明け前の決定は、アナトール・リトヴァク監督、リチャード・ベースハートオスカー・ヴェルナーハンス・クリスチャン・ブレッヒ主演の1951年のアメリカの戦争映画です。それは、第二次世界大戦の末期に、アメリカ軍が潜在的に信頼できないドイツ人捕虜を使用して、秘密の「ラインクロッサー」として情報を収集したという物語です。この映画は、ジョージ・ハウの小説「反逆罪」からピーター・ヴィアテルとジャック・ロレンス(クレジットなし)によって翻案されました。

映画「夜明け前の決断」のオリジナル映画ポスター.jpg

劇場公開ポスター

監督 アナトール・リトヴァク
脚本 ペーター・ヴィアテル
に基づいて ジョージ・ハウによる1949年の小説「反逆
罪」
プロデュース
主演
によって口伝された リチャード・ベースハート
撮影 フランツ・プレーナー
編集済み ドロシー・スペンサー
音楽 フランツ・ワックスマン
配布元 20世紀フォックス・フィルム・コーポレーション

発売日

  • 1951年12月21日

上映時間

119分
米国
言語 英語
切符売場 155万ドル(米国の賃貸)[1]

 

 

中盤からオスカー・ヴェルナー: カール・マウラー伍長(「ハッピー」)の逃亡劇。

駅で独軍の追っ手を巻くシーンが大脱走(1961年)のデヴィッド・マッカラムにクリソツ

 

終盤でリチャード・ベースハート(ディック・レニック中尉)、ハンス・クリスチャン・ブレッヒ: ルドルフ・バルト軍曹(「タイガー」)が合流して3人で逃げ回るのを見て確信。あ、これやっぱ大脱走だわ。

能天気米国人が好むケチャップで味付けした。戦争って美味しい!

 

 

監督がアナトール・リトヴァク。ユダヤ系ウクライナ人。

Anatole Litvak

出生名アナトリー・ミハイロヴィチ・リトヴァク(Анатолий Михайлович Литвак)としてロシア帝国 (現ウクライナ)のキエフで生まれた。父親はユダヤ人の銀行頭取。14歳の時にサンクトペテルブルクに移り、前衛劇場で俳優としてデビューした。その後、同地の大学で哲学と演技を学び、劇団で俳優兼助手となった。

1923年、ノルドキノ・スタジオに入り、数本の作品で脚本や美術を担当。同時に初の短編Tatiana』を製作したが、同年にドイツへと渡った。

ドイツではゲオルク・ヴィルヘルム・パープスト監督の『喜びなき街』(1925年)の編集やアレキサンダー・ボルコフの助監督を務めた。その後、1930年長編Dolly macht Karriere 』で映画監督としてデビュー。以後、『女人禁制』(1931年)、『今宵こそは』(1932年)を発表したが、1933年ナチス政権が誕生すると、リトヴァクはフランスへと移住。同地で『最期の戦闘機』(1935年)や『うたかたの戀』(1936年)などを発表した。

1937年アメリカへと渡り、ハリウッドに進出。数本の犯罪映画や『黄昏』(1938年)や『凡てこの世も天国も』(1940年)といったロマンス映画を発表。1942年から1945年までは『ザ・バトル・オブ・チャイナ』(1944年)などプロパガンダ映画我々はなぜ戦うのか』シリーズを、フランク・キャプラと共同で監督した。戦後、フランス政府からレジオン・ドヌール勲章が授与された。

その後もアメリカに留まり、アカデミー監督賞にノミネートされた『蛇の穴』(1948年)やイングリッド・バーグマンを起用した『追想』(1956年)などの作品を発表した。1960年代からは再びヨーロッパに移り、バーグマンとイヴ・モンタンを起用した『さよならをもう一度』(1961年)や『将軍たちの夜』(1967年)などの作品を発表した。

1974年12月15日、フランスのヌイイ=シュル=セーヌで死去した。

 

 

この映画で描かれる廃墟は独ではあるけれど、WW2中のソ連領を意識していたんじゃないかと思える。自分の祖国が荒らされた恨みを独国内で晴らしてやろうか。

 

 

 

 

でも独以上にソ連の方がウクライナを荒らしてたりする。

まさか半世紀以上先の未来になってもまだやられるとか。

 

ロシアがウクライナ人を虐殺する理由