アディダスの創設者であるアドルフ・ダスラーと、プーマのルドルフ・ダスラーが兄弟。。。Σ(~∀~||;)

かなり有名な話らしいが私は今まで知らなかった。



弟のアドルフの方が靴職人としての才覚を発揮していたようで、1924年に兄のルドルフにも出資を誘い、ダスラー兄弟スポーツシューズ工房を立ち上げ、アドルフが開発部門を、兄貴のルドルフは販売部門を取り仕切り、やがてベルリン五輪などのスポーツイベントで名をはせるようになったらしい。

しかし戦後、経営方針をめぐり兄弟仲が悪化 ゚・゚*・(゚O゚(☆○=(`◇´*)o

1948年、兄ルドルフは従業員13人を引き連れて新たな工房(ルーダ社)を構える。

一方の弟アディは残った従業員47人とともにアディダス社を設立。


こうして2つの会社が新たなスタートを切った。


アディダスの方は、1954年W杯でドイツ代表が同社の交換式シューズを着用。

「ベルンの奇蹟」と呼ばれた劇的な優勝を遂げ、一躍有名に。

その後は、ミュンヘン五輪の際に、今やクラシックとなった三つ葉のロゴを発表するなど、常に王道を歩んできた。すなわち、アディダスといえば、ドイツ代表でありバイエルン・ミュンヘンであり、W杯ではボールを提供する業界のリーディングカンパニーだった。


 一方のルディが立ち上げたルーダ社だが、翌年すぐにプーマへ社名を改め、アディダスが3本線なら、プーマはフォームストライプと1958年のW杯スウェーデン大会の際に発表。


その後は、ペレ、クライフ、マラドーナらがプーマのシューズを愛用。そう日本のキングカズこと三浦和良選手もプーマを愛用してますし、ヨハン・クライフは本当はアディダスが大好きなのに、マネージャーがプーマと契約してしまった為、仕方なくアディダス製のスパイクのあの三本線を靴墨で塗りつぶして履いていた事もあるという。
アディダスがW杯のオフィシャルパートナーなど王道を行く一方で、プーマはカメルーン代表のノースリーブユニで物議を醸すなど、こちらも話題に事欠かない存在。


そう今もなお、両社はそれぞれ独自の発展を遂げているのであった。