先日父とお小遣いの話になりまして。

現在私はバイトもなにもやっていないまっさらな人間なのですが、親からはお小遣いを貰っていません。入り用の時に、という訳でもなく、生まれてこの方両親から現金を貰った記憶がありません。日々収入ゼロなわけです。ただひとつを除いては。

買い食いもせず、服や小物を買うでもなく、偶に自販機でお気に入りのジュースを買う程度ですが毎月祖母から3000円を貰っています。月に多くて1000円程度しか使わないし、少ない月では一銭も財布から出ていかず、そんな感じなのでチマチマチマチマと貯蓄が成されていきます。

 

父が言うにはどうも私が常日頃から何かを買っている様子もないし、もしやもすれば金欠かと(小遣いを与えるべきなのでは)と考えていたようでした。そりゃ貰えるモンならありがたく貰いますが、ここは正直なたおひよちゃん。ちゃんと祖母から貰っていることを言いました。それで足りるのかとも言われましたが、足りるようにやりくりしてるので足ります。でもお小遣いくれるっていうんならくれてもいいよ~とは思えど口には出さずその話題は終わりました。

 

 

 

 

同じく昨晩、生まれて初めてAmazonで買い物をしました。

 

 

 

 

田舎に生まれ、田舎で育った私ですが、地元は大手の店舗なぞはまったくなくアパレルブランドはいつまで経っても進出してこないし、全国チェーンの飲食店は吉野家かすき屋くらいで、コンビニもほぼLAWSON。LAWSONを悪く言うつもりはありませんけれども。ロッピー助かるよ。ファミマはやたらと喧嘩腰な店員がいるので嫌です。

学生の行くところはマック。放課後にでも覗けばそりゃもう蜜を塗った木に群がるカブトムシが如く高校生がウジャウジャといます。

都会の煌びやかな大通りをフラペチーノ片手にキャハキャハ歩くのは誰しもが夢に見るものだと思いますが、農道をヤクルト片手にチンタラ歩くのが関の山。

住宅地(というにはあまりにも民家が少ないけれど)の端へと追いやられ、看板の蛍光灯に経営難が見受けられる本屋に私の欲しい本はほんの僅かです。ホンだけにね。

 

 

横社会と言いましょうか。高齢者の多いアナログな地域だからこそ人と人との距離が近く、隣家との境界線が曖昧になっている。

おばあちゃんネットワークは物凄いもので、半日で集落全体に情報が行き渡ります。良いものも、悪いものも、微妙なものも。侮れたものではありませんけれど、しかし言うても巡るのは“身内”の話に限ります。

完結してしまうのですね、そのコミュニティの中で。特定の家、人、関係とののみのやり取りで終わってしまうので、自動的に身内籠りした閉鎖的な社会が成り立っていくのです。確かにそうだ。“身内”で固まるとなんとも言えない一体感があって安心します。

元々私が暮らす地区は戦後行き場が無くなった人が自力で開拓した土地ですから、他と比べればまだマシではありますが、とはいえ結構…なんですよね。詳しい状況は言えたものではありませんが、毎日毎日どうでもいい近くの他人の情報が耳に入ります。

 

知りたいのはそんな下らない情報じゃない。

どこの婆ちゃん家の野菜がよく採れたとか、どこの爺ちゃん家が不作だとか、そんなならまだしも、どこそこの奥さんが離婚したとか、拗れただとか、顔も見たこともないおっさんのルーツだとか、知ったこっちゃない。そんなことを考えている暇も、憶える手間も、余裕も、何一つとして今の私にはないのです。

何より、こんなところで何も手に付けずにボーっとしていたって腐った話題で頭も手足もどんどん腐っていくんじゃないかと、人の不幸を嬉々として啜る小汚い中年になってしまうんじゃないかと常々思ってしまうのです。ンなこた言ったって腐る時には腐るけど。

何かひとつ自分だけで楽しめるものを、何かひとつ他人に依らないものを。自立しなければ影響されてしまう、と思って。

“自分を自分たらしめるもの”を必要としている人間だから趣味もぼちぼちと続いているのだと思います。作品というのは作り手そのものですから。濁流からは逃れられないから、せめて溺れないようにと用意した浮き輪の様なものです。

私は私で楽しめるものを作らないと、少しでも手持ち無沙汰が続いてしまえば他人にエンターテインメントを要求するようになっていくと思います。

 

しかし案外、私も「おばあちゃん」と同じようなものにも思えます。たまたまネットが普及し待ち時間にスマホを触るのがデフォになりつつある現代に生まれただけでは?コミュニティが現実ではなく、ネットで結成されるようになっただけでは?

ヘタしたら情報の主、対象の顔が直接見えないようになった分余計にタチが悪いかもしれない。腐りたくない腐りたくないと思いながら逃げた先で、より酷い腐敗に苛まれていては笑い話にもならないですが。

月並みな言葉で言えば「画面の先には人がいる」といったものでしょうか。音がないために微細な心情を伝えづらいネットだから、面と向かって喋るよりもコミュニケーションが困難で、ちょっとしたことで人を傷つけてしまう。顔が見えないから、まるでコンピューターに壁打ちしているような気分になってしまう。自分と同じような人間が向こうに生きていると想像できない。いやもう正直クソリプ飛ばしまくるヤツホント現代人に向いてないし永久に人間界から追放してほしいですよ。怖いし。

 

昨日の日記は今後もアホでいいやと諦めましたが、最低限他人を尊重していたいし、尊重されたいし、広く浅く付き合いたいと思いました。ちゃんちゃん。

 

 

 

 

だ~~~~~~~~~~~~けどもその点Amazonはいいよな。欲しいもの検索しただけですぐに出てくるし地元の本屋にないもの沢山あるし店員にキョドりながら注文の申請しなくてすむし。フラペチーノは飲めないけどすみっコぐらしのぬいぐるみ買えるし家から出ないで済むし。

ネコチャンのTシャツ買いました~~~~~~ヘッヘ~~~ン今日コンビニで振り込んできたので火曜日に到着するらしいです。普段着にしようと思いま~~~~~~~~~~~~~~~~~~す。

 

 

https://www.amazon.co.jp/dp/B01FQMW3XI/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_GZfxBbD8460E4

 

クスリのアオキにパン買いに行ったらレジ担当のお兄さんが青木さんでした。

 

 

 

 

実はという程のことでもなく、まあ先日の日記やSNSを見る限りすぐにわかってしまうことなのですが、私は頭が悪いのです。

勉強ができないとか要領が悪いとかっていうか漠然とアホ。いや勉強も出来ないんですけど。

 

説明が致命的に下手くそ。話題Aの説明をするのに途中で話題Bが登場してしまった時、話題Bの説明を始めてしまう。さらにその話題Bの説明をしている時に話題Cが推参してきて、……という具合にどんどん脱線し、散々余談をした後にようやく本題の話題Aの説明に入ると。

これ家族全員そうなんですよね。親もそう。兄弟もそうで祖父母もそう。脱線脱線大脱線ということで、私つくづく電車じゃなくてよかったなあと思うのです。私がトレインだったら今頃死者多発で廃線まっしぐらでした。

こういうふざけたことを抜かそうとするから線路から外れて死亡者を大量に出すのです。

 

とは言え正直なところ、ふざけているつもりはないんです。パッと思い浮かんだことをそのまま言ってしまうだけ。おっと今原因が判明しました。

わかりました。説明するのに前持って順序を決めておかないからこうなるんですね。事前にこれこれこれあれそれって計画を建てて喋れば多分そう死人は出ないはず。そんな頭使って喋ったことないんで憶測の域を出ませんし、計画を建ててその通りに実行するのが朝飯の前どころか晩飯の後にも出来ないほど不得手なのでウーン実践デキルカナ~……。

出来ないことは出来ないので諦めてこのままアホとして生きようと思いました。それに付き合ってくださる方、あるいは同じようなアホがいればまあまあ皆寄り添って生きていけるんだろうと思います。こんな感じでとりあえず主語とスケールを大きくすればそれっぽくまとまる。

 

 

 

 

そもそも私は幼稚園の頃からコミュニケーション能力が壊滅的でした。何をどこでどう間違えたんだろうなあと思うけど、きっと遺伝子です。前述の通り第二親等から受け継がれるアホゲノムですから、生まれてからどうこうしたって無駄だったと思います。

もし世の中のありとあらゆる能力(スキル)が10段階で表されるものとしたら、と考えました。

コミュニケーションスキル0が物言わぬ屍だとして、私はおおよそ1でしょうか。これは老衰における今際と同じほどです。声帯が言うことを聞かないって感じです。いわば私は日々危篤なのです。ついでに10はどれくらいか考えてみましょうか。歌舞伎町で指名毎月1位を獲るホスト。あるいは同様にキャバ嬢。イメージですが、大体そのあたり。

 

 

口下手、人見知り、あがり症の三重苦を兼ね備えたパーフェクトクソカスコミュニケーショナー。まともに人間として社会に溶け込んでいるだけで拍手喝采ものなのですが、それはそれとして。

「完璧な人間はいない」というのは、アニメ/漫画/小説/ドラマ/映画など様々なメディアでフィクション/ノンフィクションかに関わらず耳にするセリフです。それが正しい正しくないかはどうでもよくて、肝心なのは「完璧な人間はいない」としても「完璧に見える人間はいる」んですよね。人類皆ポンコツだとして、しかし「1+1は?」と聞かれて「たんぼの田」なんて答えるようなポンコツばかりではないのです。

確かにかっこいい彼もかわいい彼女も賢いあの人もポンコツかもしれませんけれど、ポンコツの具合が違うんです。たんぼの田と答えるのはド底辺としても、「1+1は?」と訊かれて「3」と答えるのはポンコツはポンコツでもまだマシに見えるじゃないですか。だって数字だもん。

 

多分リンカーン氏もオバマ氏もどっかしらポンコツで、ゲティスバーグやシカゴで演説をした時だってそらもう緊張しただろうと思います。多分ね。しかし押絵やら動画を見たってそうは見えないでしょう。余談ですがゲティスバーグ演説のリンカーン氏のポーズ見てたらタイタニックの名シーンを思い出しました。

別に大統領になりたい訳でもないしアメリカ国籍も要らないし、全日本国民に向かって演説なんかしたくもないし言いたいこともないし、仮令あったとしてさせて貰えないとは思いますけど、しかしせめて云十人の前くらいではハキハキと“素晴らしい演説”が出来るようになりたいのです。練習しろってか。黙っとけ。

平生、教室の隅にいるような人間だからこそ、稀な表舞台ではしっかりとした見せ場を作ろうとしても「たんぼの田」だからコケてしまう。

裏方が本領であるということなのでしょうけれど。いやでもしかし。ねえ。

隣の芝は青々と生い茂っ……ていたらそれは草刈りを怠っているだけだな。隣の芝は青々として見えるし、ないものねだりではありますが。それでも羨ましいものは羨ましくて、なんとなしにコミュニケーション関連の啓発本に目を通してみたりそれらしく行動は起こしてみるものの一向にレベルアップの兆は見えません。

 

脱線したくないし危篤の毎日から回復したいし、「たんぼの田」から「3」になりたい。けど面倒だしアホのまんまでいいかー。

というのを、開始15分で解き終えてしまった模試(世界史)の残り45分でもやもやと考えておりました。

 

 

 

買ったパンは明日の昼食にします。

 

 

 

たおひよちゃん。“た”から“ん”までキッチリ名前ですが、これに敬称を付けますとたおひよちゃんちゃんとかたおひよちゃんさんみたいな、なんかアホみたいな字面と響きになるのでどうぞ「たおひよ」「たおひよちゃん」と。

 

さて、私は今の今までブログをやったことがなく。というかやろうやろうという意志は随分前からあったものの「簡単」「お手軽」「1クリックで」とかなんとかキャッチコピーの様には行かず、つまるところサイト開設の時点で躓いていたんですね。そもそも1クリックでってのがまず可笑しいんだよ。出来るワケねえよ。盛るな。

 

ネット文化に触れ始めたばっかりの頃は某ライトノベルに登場するサイトを再現したSNSでほぼ毎日のように日記を書いておりました。4時に学校が終わってドッコラヨッコラ徒歩下校。自宅について3DSからカチカチカチカチカチカチカチカチ打ち込んでました。病気。

初めてネット上で日記を書いたのはその某サイトなんですが、なんせそれ小学校の時でしたのでもう言わなくてもわかりますよね。似たような人種多いと思います。ふとした時に思い出すんですよ。イキリ消防の自分を。クソ海馬。

アカウントとパスワードがうろ覚えで上手くログインできるかどうかわからないからというのもありますが、怖くて怖くてサイトにアクセスすら出来ない状態です。今後一生接続する気はないですし公開するつもりもないです。出来るならサイト閉鎖してないかなぁなんて思いながら検索してみたら普通にありました。もうしーらない。タブ消した。

 

とはいえ今となっては懐かしい思い出です。アカウントどころかメールアドレス所得にも手間取り友人に手を貸してもらいました。初めて取ったのはYahooメールでした。未だそのアドレス使ってるんですけどどっちかっていうとGoogleユーザーなのでメールは確認してないです。

学校で誰それちゃんのアドレス教えて~とかなんたらくんのアドレス知ってる~?みたいな会話もしました。痴呆なんで聞いてはメモして聞いてはメモしてたんですがそのメモ帳を失くしてついでにメールするのも忘れてました。何がしたかったんだか。

親には内緒でこっそりやっていて、背徳感と言いましょうか。悪い事してる!という意識がひどく心地良かったのを憶えています。犯罪者みたいですけど。

 

他には一時夢日記なるものをやっていました。3週間ほど続きましたが、その時に使用していた解約済みのアンドロイドが故障しそれっきりで、日記の内容はもう見れませんけれど、覚えている限りでは従兄弟がトナカイになってただの蚕の繭を食っただの遠くでカンガルーの姿になった母が呼んでいただの。そんな感じでした。夢見は悪い方ではありませんが、夏はどうも暑苦しさからでしょうか。昨日は生物教師から雪玉を投げられる夢を見ましたし、昼には北欧出身の陰陽師になる夢を見ました。脳が涼を求めています。レムレム。

未だにハッキリと憶えている夢は数年前の初夢です。マイケル・ジャクソンが来日したのでライブに行った(ファンではないです)のですが開始時間を大幅に過ぎても本人は出てこず、代わりに天井がカパッと開いて大西ライオンが落ちてくるのです。例の掛け声を散々ステージ上で声高らかに叫び倒した後、呆然とする私を除いた観客に拍手喝采を貰って普通に歩いて退場しました。そこで目が覚めたのです。

確かマイケルが亡くなった次の年ですから、2010年でしょうか。8年経っても未だ憶えています。ライブ会場が地元でした。ふざけんなよ。

あとは大量のサンタが空を飛んでいたり、トトロとお花畑で飛んだり。飛びすぎ。

 

某サイトではほぼ毎日のように日記を更新しておりました。けれど当時の同級生との間で流行った交換日記はよく流れを止めていました。

母と兄との間でやっていた交換日記はまあ書くには書いておりましたが3人のうちの誰かが紛失して終了。手紙を何度か頂いたことはありますが返信はした試しがない。「pen pal」という海外の生徒と手紙のやり取りを(英語で)行うものもやってみましたが、一度返信して途絶えました。メモはよく怠ります。文字を書くのも億劫。しかし活字から離れる生活は出来ないので他SNSを延々と閲覧している始末。

 

筆まめではないのは確かで、怠惰であるのも事実です。ただ一度ハマると日課になるので、このamebloも長続きすればいいなあとは思うのですが、まあ私のことなので一週間後には忘れているだろうと。

 

人に読んで貰えるのかどうかは気にすることなく、続く範囲で無理なく備忘録を綴っていけたらと思います。

これが最初で最後の日記になったら面白いですね。かしこ。