日本人の集団ファースト意識。

周りに併せる事が正義。とでも言おうか…主体性の欠如を現す不思議な行動原理を象徴する揶揄がある。


窮地の沈没しかけた船から逃げ、救命ボート上における民族的な違いの習性を理論化したものだ。

確かに極限の状況においてそれは顕著に出易い。


『皆、海に飛び込んだよ?』というと日本人の場合挙って飛び込むと言うのだ。


誰しも聞いた事があるだろう。


つまりハナから従属。他に感化され易い奴隷的な精神構造だ。主体性を持たずに周りへの同調を好む人達が居るww

朝から晩まで…起きている間は、『〇〇しとかないと〇〇と思われちゃう。』『〇〇しないと怒られる。』この妙な強迫観念。同調圧力下で培われてしまった間違った判断。

この受け民の立ち位置を日本🇯🇵秩序は気にしながら、スッカリ骨身に染みて洗脳されている現状には違和感しか無い。

これを生業とする定型さんみたいな人達が、実は昔から気になっていた。

ナンジャ?この村意識を強く持った村意識ファーストなあり様は?

人間が社会的な生き物である。というのは充分に分かるが、ずっと見ていると何かウンザリして来るのは、アンタにゃ主体性というモノは何処に行ったんじゃい?とふと不思議に思うと同時にゾッとする。

脊椎反射でこれなんだ、彼らは。

彼らはきっと周りが働いて居るから働き、自分の資質が何に向いているのか?何て事には気付いたりしないのだろうか?

コレが笑い事では無いのは、政治の世界にも垣間見えてしまっている。まーた盲目の有権者が自民を祭り上げ、当たり前の様に二枚舌の心無い政治屋が当選することに繋がっていたりするからだ。

日本人を疲弊ばかりさせている悪政のスパイラル。

日本の悪習の根深い因子はこれなんだと思っている。

個人的に盲目信者の連れションの原理と呼んでいる。

ただこれにより痛い目を見た方々は大抵思考して吟味することを覚え出す。コレは良い事だ。

そして日本人が本質に気付くには、心理学を疎かにしてはいけない。

実は人間個々に本人でも気付かない無意識を支配する性質というモノがある。人間は己の無意識を支配するその性質に気付く必要がある。

自分でも説明がつかないモノが正にその正体へのヒントだ。

そして出来る事ならば自分を上手く操縦して、上手く乗りこなして小さな成功体験を積み重ねて行くべきなのだ。

外界の理不尽を上手く乗り切って、目指すは自己実現を果たすべきなのだ。


キリスト曰く『迷える仔羊たちよ…』にある様に私達は未だ迷い易く群れている。

本質が見えていないから迷うのだろう。つまり盲目の仔羊に過ぎないのだと思っている。