サイコパスは反社会性(パーソナリティ障害)

自己愛は自己愛性(パーソナリティ障害)

彼らは感情から情動回路、思考回路が複雑に絡み合って規則的に生き方の方向性が決まった総合回路のループを持つが、コレは既に障害なのである。


人間性を獲得した感性から観ると、やはり至る所に違和感を感じてしまうものだ。

『よくもまぁそんな酷い言動が出来たモノだ!』と軽蔑してしまうことはしばしばあるが、一応人間性を獲得出来た『人間』にもやはりそれなりに性質はあるのである。


つまりサイコ、自己愛に違和感を懐く時点で、それは既に何かしらの性質を持っていると言えるからである。

答えは向社会性。

我々『人間性』を獲得出来た者というのは、定型発達、発達障害云々、色々居る訳だが…どんな性質を求めながら生きているのか?

人間性を持った者とは我々のSPECなのであるから、今一度考えて自分自身把握して置くべきなのだ。

キリストが人類を『迷える仔羊』と揶揄した様に、確かに人類、悲しいかな悩み迷い易いのは確かだ。

しかし人類の歴史は傷付きながらも、この人間性が民主主義やモラル、マナー、法の枠組みを作り出して来たのは間違い無いのである。

向社会性。これを見失っては元も子もない。

これは最低限自覚していた方が良いのだと思う。コレは知っておいて欲しい。


人間は基本、感動したり共感したりしながらまた社会の価値を創造している営みがある。

また人間性をもってしまうと、サイコや自己愛と相容れないという事は傷付いたり、失望したり、幻滅する事の為には生きれない生き物なのだという事も理解出来るだろう。

エグい真似やエゲツない真似には抵抗があるのも基本、当たり前に『平和を軸とした人間性』があるからなのである。

分かり易く言えば、平和を愛する心が基本に有れば人間なのであるから。


だからサイコや自己愛の方々よ…人間とは相容れないのは当たり前なのであるから、少しは迷惑というモノを考えろ。捻れてんのはお前ら!

※更生不可❗️は分かってますよ。人の話が聞けない時点で気付きました。脊椎反射で拒否反応か。


どうしても生理的に無理みたいだね。