人間が仮にどんなに進化しても、動物というカテゴリーから逃げる事は出来ないよね。
人間から原始性(邪)を取り除く事は不可能だという事は分かっている。
何故なら、人類だって所詮は哺乳類だ。原始性から始まり次第に人間性を獲得したのが人類である以上、原始性が生命の源となるDNAを運んで来てくれた訳だから。それを否定して今の人類が存在する事は出来ない。
ただ初期の人類の体質は野生界で生きる事に限界を感じた訳であるから、それ以来…人類は動物にしてはあるまじき奇天烈な進化をして来て人類はこうして現世人類となった訳である。
野生界に限界を感じて、人類特有の進化をしなければならなかったのは…
類人猿として生まれ→ 類人猿として生きれなかった野生界としては致命的な負の因子を持つのがこれまた人類の始まりだから興味深い生き物なのだ。
かくしてこの類人猿失格組は違う生き方を模索せねばならなかった悲しい経歴がある。
700万年前に袂を別つ生き方をして来た人類が力を合わせて生きて来れた背景には…環境と境遇だろう。
木の上を逃げ場に出来た類人猿が木に登る事を不得手とした場合、地上で生きる他に選択肢は無いのだ。つまりは群れを去るしか無い。
また地上には恐竜まがいの肉食獣が腹を空かせて目を光らせながらうろつき回っている。
新たな生き方を模索せねばならない当時の人類はさぞ心細かったのであろう。境遇が重なりあまりに心細かった事などが考えられる。
野生界は弱肉強食の世界。かくして脳は違う世界を求めるしか無かったのである。私はそれが文明の始まりだとすら感じている。
野生界に於いては圧倒的に弱者であった事は想像するに容易い。それは極めて稀有なマイノリティ。
そうなれば助け合うしか無かったのであるから。チームワークは必要不可欠になってくるのは、ライオンや虎といった肉食獣にはなれないのは最早運命であるから、言葉らしき言語が発明された背景も元々は負の境遇が関係している。と考える。
ただ初期の人類は助け合ううちは必要不可欠なパートナーだから、正に互いの運命を支え合う運命共同体。こういった境遇、環境がある時は互いを庇い合い思い合えるのではないだろうか?
と真面目に考える。
これが野生社会不適応資質を持ちながらにして、生きながらえ、最も繁栄した人類の理由の一つだと思っている。

現代は確かに進化はすれども、ベーシックな部分は変わらず、個々の境遇は遥かに変わったのだ。
肉食獣が居ない。彼らは絶滅した…