鈴木啓之牧師という方をご存知だろうか⁉️
元ヤクザの牧師さんである。今ではススキノを中心に信仰の力で心に何かしらの傷を負った人々を救済して積極的に活動している。
この人を私はテレビのドキュメントで知る事になったのだが…

元ヤクザから牧師さんやお坊さんになった方々は様々な番組でもネットでも目にした事はある。
修羅の世界からの転身…神の伝道師へ…

果たしてどんなプロセスによりそうなるのだろうか?
特にそのプロセスを念頭に目を奪われ、暫く観ていた。
鈴木牧師や改心した牧師…他の出家した僧。共通しているのは…運命的出逢いにより、渡世に身を投じたものの…悪の本質という地獄を嫌というほど知っているという事にあり、心の底から善行を渇望したが為に能動的に…いや人間の本能として…人間の人間たらんことを求めて今に至る。神の伝道師として生業としているのである。




私は以前、正にこのドキュメントを車のカーナビで観ていたのだが…鈴木啓之という名をそこで始めて知った。
暫くして雨が降って来たが…夜中、出先のコンビニの前で車を停め、地獄の様な過去を振り返る鈴木牧師の話に呑み込まれていったのを覚えている。

ただ人事とは言えなかったのは…誰もが学生時分の右も左も分からない時期であれば、陥る可能性はあり得る話だとも思ったのだ。
環世界が必ずしも人徳のある人ばかりに恵まれる保障など無いのだから。
寧ろそうで無い場合の方が遥かに多い。
悪い感化により悪習を悪習とも分からず、気が付いたらこうなってしまった。
というのは若い時分には誰しも過ちの一つや二つはあるのではなかろうか?
正に鈴木牧師の渡世入りのキッカケはそれだったのだ。分かるだけに同情した。魔の狭間である。
結果的に何年か続いた関西圏での渡世生活。
理不尽だらけの渡世の世界で人間関係も身もボロボロになり、莫大な借金を背負う羽目になる。
逃げた歌舞伎町で駆け込んだのが高層ビル群に埋もれるとある教会だった。
彼はそこで救われることの意味を生まれて初めて知る事になる… 精神的な救いとは何かを知ることとなる。

学校内からの悪影響、家庭環境により早くしてグレた場合は寧ろ同情する。周りにヒントになり得る人の在り方が無かったからだ。
私は芯根は悪い人間など居ないと信じたい側なのだろうと思っている。
悪に染まり地獄の底…という人間性の良心の通用し無い世界を知った時に人はようやく己の人間性が何かを発している事に気付き、本気で野蛮や背徳を忌み嫌う瞬間が覚醒することはあり得るのだと感じた。
何故私がこう言うかと申しますと…人間に人間にしかない脳機能が何故存在するのか?
を考えた時にそのSPECは野蛮や凄惨からの回避、または想像力による相殺だと考えるからに他ならない。
つまりそれは人類創世の頃からの代謝であり平穏を求めるのは悲願だったとすら考えるのは…現世が正に人間に平穏を与える様に全てが進化して来ているから。
身の回りの事なら家も服も…家電や寝具までも…そして秩序が正にそれに則り進化しているじぁありませんか⁉️
あのドキュメントを観て確信したのは…悪に真底嫌気がさすこの真底改心したいタイミングが大事なんだという事。絶好のタイミング。
鈴木牧師は悪が何故いけないのか?身を以て経験則で悪の本質を痛みで知っている以上、彼は悪を真底忌み嫌っているからに他ならない。
…悪くなりようが無い。良くなる為の理由ばかりは強くあるからだと感じた。
何がいけなくて人間とはこうあるべきではないのか?を確信した時に人間の中の人間性というヤツはいよいよ覚醒し出す。と信じている。
そのビフォーアフターの表情の違いは驚きでしか無かった。…コレが同一人物かと。
勿論人により戻る人も多いでしょうが、それで諦める愛を伝える機会を世の中は失ってはいけないと思っている。
地獄を知った時に人はようやく己の人間性に気付き、本気で野蛮や背徳を忌み嫌う瞬間が覚醒することはあり得るんですから。
何度もすみませんが…悪に真底嫌気がさすこの真底改心したいタイミングが大事。
その時は人間社会は信仰の教えに則り、偉大なる器量と度量により『愛』というモノを教えてあげる機関必要なんです。
つまり…生まれてきて良かった。人間って温かいんだな。というきっかけを教えてあげる。誠実に生きたくなった時に救ってやる場や機会が重要。
これこそが信仰の目指したものではないでしょうか?
今、この状況にいる人達はそのキッカケ次第では第二の鈴木牧師になり得る可能性もあると。


コレを理解している大人がどれだけいるのでしょうか⁉️

我が子にすら強迫観念で圧力しかかけていない親。それを愛だなんて勘違いして『何で親の気持ちが分かんないの❗️』なんて最後は感情ぶつけたり。こんなんじゃダメだ。

しかし地獄のホントの意味を知った人間というのは何か説得力が全く違う。善く生きなければならない絶対的な強い理由があるからだ。
そしてそれは今となってはブレないのだから。