『みんなこんなもんよ、世の中こんなもんだよ』
と戦いもせず、試しもせずにタカをくくろうとして、結局は似た者同士がまたアホゥな結論に至り、腐り合う光景をたまに目にするわけだが…
こんな人に限って、また僻みっぽかったりするからタチが悪い。自分の選択の仕方に問題があり、それを決めるのは己の思考を情動回路に問題があるなんて、彼らは思いもつかないのだ。
どいつもこいつもただ疲弊しただけで、特にどう良くなった訳でもなく、寧ろ悪くなっていたりすると更に僻みは強烈になっていたりする。
何故こう悪い循環に気付けないのか?負のルーティーンに気付けないのか?とその盲目さにうんざりする事がある。
かくして迷える仔羊は更に迷い貧ずれば鈍ずるにある通り、己の不備な選択に拍車をかけて背徳的に生きる他なくなる。こうして自らダメになっていく。そこに自分の決断の積み重ねがあった前後関係などにも気付けない。
思慮浅い軽薄なバカの結論なんか聞いてらんないもの。人に非るヒトデナシの脳筋の思い付く結論というのは違和感に耐えないものばかりだ。しかし彼らは貝の如く、その温床となる腐れ縁同士のよく分からない腐れ縁の棲家に戻るww
『お前はお前の人生の大事な部分をよく分からない腐れ縁の末に出来た愚かなる産物にまた委ねるのか?オイ!』だから苛になる。
彼らは決断の重要性を全く軽んじており、自分が今何故こうなったか?なんて気付きもしない。あんな愚の骨頂になどいちいち併せてられませんもので、私は大概この手の悪習から離れる。
私の知る冴えない凡人とは大概コレだった。
キャパが致命的に狭い。決断における自在性や革新的なダイナミックさゼロ。偏見と偏執によりいつまでもダラダラ腐れ縁を積み重ねたりね。
こんなヤツらの結論など聞いちゃいられない。
ガキかと思うほどの低脳さを…ああも恥も外聞も無く、晒して…ご満悦なアホヅラ程は自ずと自然に苛がわく。
落とし所のおかしなヤツというのは…真剣に生きていない。全く不真面目故にどこかふざけている。だから思い込みに飲まれ易く、現状、現実に向き合えていない。

それ以前に怠惰故に全ての事象に背を向け、士気を喪失し易く、また怠惰の果てに何か諦め易く、実は既に絶望しているからこそ、試しもしないのだ。
故に『世の中こんなものだよ。』という恒例の殺文句がお約束になっているのだ。
まるでえらい目に遭い続け、辟易した者が現実に背を向けているかの様だ。

そもそもあんな無責任なバカが何を世の万物の事象、萬の物事について、知ったかしているのか?
オメェの小さな物差しがなんだというのか?愚の骨頂とは正に。
適当に生きてりゃあ…そして適当に身内のバカにウケりゃあオーライッ!それで良いらしいのだ。こういうバカは思いの外多い。
しかしヤツらの答えというのは…思考できない者が行き着く、違和感しか残らぬ矛盾に満ちた墜落ともいえる不時着であり、田舎芝居にもならない。だから為にもならない。
結局身内の中だけで通用する予定調和だから、世の中でなんか評価に値しない。通用しなくなるよ?と言えば分かり易いだろうか。
実に残念な後味。ヤツらは生ける屍だ。自分の人生にすら無責任である事を意味している。
あまりに不真面目でテキトーだからだ。
『人生は決断の連続である。』とスピノザが言った様に、人生とは自身が主役の進行中のゲームなのである。全く正しい!
決断の連続は微量ながらも徐々に進路をに変え、運も出会いも絡みながらも、その積み重ねは状況を変えながら修復不可能な程に袂を分ける。
バカの結論とは進行中のゲームをハナから放棄している事を意味しているとも言える。
人生の岐路を社会のみならず自分すら諦め易い無責任なヤツは、背徳的に生きる。美徳無き者になるしかなくなるのだ。
自分や周りに嘘をつき、騙しや欺きが常套手段となり、やがて麻痺してルーティーン化する。
言い訳ばかりは上手くなる。ダメだなコリャ。
こういった思慮浅い軽薄極まりないの思い付く、下衆の集大成の積み重ね…その先には結果破滅しか無い様に思う。
そしてまた例の殺文句に行き着くのだろうか?
ホントに気持ち悪い。下衆の集大成の上に達観するバカ。それが災児であり、またその悪影響を一心に受けたバカルトであろう。

そもそも人間に共感が生まれ、真理を求めた先には実は不動の真理がある。
道程には苦慮はつきものであるが… そこにはそれまでの培った人間性は生きてくる。余計な不協和は切り捨て、あとは人生自らの選択により楽しまないと。つまり腐れ縁は要らない。
永遠の真理とは今は学問にあたり、思い付く限りでは科学は得てしてそれに当たる訳だが…確かに人の生活を豊かにしてきたのは…確かなのだが…

ただ利便性を極め、飽食の時代も享受できた先には、幸せになれたかと言えば、未だそうでもない。
人類は未だ怠惰になっただけだったという事がまた皮肉なもので、最早断腸の思いなのは…先人の方々の…地獄を見た世代の生死を凌いできた積み重ねてきた努力の先がコレではどうなのか?
やはり最後は精神性を求めるのが人間だと思っている。
西暦も2000年を超えた理智の積み重ねの最新状態である筈の現世がこうも進化も仕切れておらず…混沌としているのは、なかなか迷える仔羊達は良い答えに巡り会えてもおらず…他愛も無い戯論しか思いつかない実態とは…上手くいっていない消化不良な者が圧倒的に多いという事に相違無いのだ。

つまり現世の物質的に豊かな時代を作った先人は地獄という毒を知る事により、革新的に進化出来た。それは人間社会の中の悪性の毒を知っているからに他ならない。
人間が賢くなる要素に、悪を知り、地獄を知り身の程を知るという意味では人にはまっこと重要な酒であり、毒を相殺してスックと立ち、各々に化学変化を与えて来たのだ。
その経緯があって今が民主主義なんだから。

感謝を知らぬ我儘な餓鬼には真の幸せも成功も平穏もは永遠に訪れない。ヤツらはヴァカだ。自らの人生をハナから腐らせて来ているのだから。お前らごときが世の万物の物事を結論づけるなバカヤロウ!
いやそのルーティーンの連続は間違いだぞ!間違いかも知れない…このかも知れないが無いのが悲劇的に無いから、キャパが致命的に狭いのだ。