人間は経験した事の無い不幸においては、いつまでも他人事であり…
『私に限っては絶対に大丈夫』と高を括って、その他人事の起因や内訳についてもなかなか理解しようとしないのだ。
そしてあろうことか…いよいよ目に余ると最も簡単な落とし易い落とし所に結論を持って行っては最もらしい事を言って、事態を収束出来れば彼らは納得なのである。
要は単にめんどくさいからだ。
人類が共感による共和的概念を失ったのは、神を信じなくなった事。畏敬の念を忘れた事に大きく由来している。それ以来、何処か薄っぺらくなった現世人類は何処か魅力は無くなって来た。
そしてその不幸がいざ自分に降りかかると、人類の多くはナシのつぶてであり、いきなり神に祈り出したりするのである。
神は果たしてこんな節操の無い人類をお許しになるであろうか…甚だ疑問である。
私は現世人類がこうも怠惰で傲慢になった背景には、文明の利器の発達が人間の怠惰を増長させたと考える。
考えたり創意工夫しなくても良くなった事が怠惰を生み、結果的に人間を退化させたと考えている。
私はある日、S区のバーでたまたま隣に座っただけの精神科医とこの話題について話した事がある。
それは『何故こう現世人類は魅力の無い脳筋な自己愛がこんなに増殖してしまったのか?』についてである。
私がそれについて呟くと、その精神科医は『よーく、わかったね!そう、自己愛増えてるのよ!』と目を丸くして、いきなり議論は互いに熱くなり出した事があった。
彼もまた現世人類の魅力のなさ、節操のなさについて、常々気になりつつ、この国の未来について、憂いて問題視しているのは分かった。
結局、そこでは結論は出なかったが…良くも悪くも色んな力学が働き、外的環境が作用して人類はこうなっているのは分かった。
力学が働いている。
それは…
1、情け無用の競争社会。立場から生まれ得る貧富の差。これでは結局、個人主義になり易い。
子は世の中から汲み取るのは、誠実さなんかより、多分合理的にいかに立ち回るかだけを覚えてしまうのではないだろうか。
他人事に関わるより、個になり易くなる。かくして真の共和なんていうのは、渇望しなくなってもやっていける世界になっているのだから。
つまり想像力の貧しさだが、それは…元は人格に由来している。
2、不幸は良き共和社会の原動力になり易く、また故に想像力を生み出し、人類は新たな時代を生み出す代謝して来たのだが、腐り易い人ばかりが増殖した。
神を信じなくなった人類は狡猾にも企む事ばかりを考え出した。
例えば…あの三つ巴の携帯会社ですら、果たして結託しているのか?
先進国でもあり得ないくらい高額の携帯料金を貪り、搾取する様なマネをしているのだから。
※ 他の先進国は平均3000円〜5000円だって。
そりゃ菅官房長官も異議を唱えるのも分かりますわ。