『罪を憎んで人を憎まず』
これどう思いますか?

見方によっては色々な解釈が出来そうな言葉。

コレが仮に感情を抑え、事件性を軽減する為の意味合いで使うならば、私も一理ありかと思います。
しかしながらその罪はある加害者から起こり得た心無い言動だった訳ですよね⁉️

私は情動回路とセーブ機能のバランス。コレが崩れるとどんな事件でも起こり得ると考えています。情動は邪という野生由来の気性ですから、ごく自然に働きかけて来ます。

注視すべきは人の情動回路だと思いますよ。

相手の邪を注視し、罪はちゃんと法的な措置を取らないと、愉快犯なんかやりたい放題じゃないですかww。

これでは何も解決しないじゃないですか⁉️

と思うのは、私がアスペ故であろうか⁉️

何故ならある罪はある加害者から生まれ得た言動なのであるから、こんな日和見的な結論には、違和感を禁じ得ない。

愉快犯を放置じゃダメですよね。つまり公明正大にカッコつけたって、それは度量でも器でも無いと思いる。

こういった違和感を禁じ得ない、いわゆる粋な言葉は実は世の中に若干存在するのだ。

例えば…人を騙すならまず味方から…だとか、騙された方が悪い…だのという心無い発言は代々心無い人らによって生み出され、心無い人らによって継承されて来たとすら思っている。

そして日本人に最も多い日和見がそれをみすみす見逃すから、悪影響は蔓延する。

ケントギルバードをはじめ、フィフィ…その日和見体質ばかりは、良くないと釘を刺す様に言っている。禿しく同意だww❗️