松本智津夫が今朝、死刑になった。
そして信者の中の幹部6人と共に順をおって教祖から死刑になったのである。

麻原は死刑になって当然という 犯罪史に残るサイコパスではあった。
モンスターサイコといっても過言ではないが為に、携帯のニュースの読者コメントを観ても、稀に見る鬼畜の所業に、やり場の無い怒りをぶつけたり、これ以上この手の鬼畜の所業を聞くのも辟易したのか?
もう懲り懲り。やっとホッとした。なんてものが圧倒的に多かった。
『死刑になって当然』『やれやれ』みたいな…

私は澤口俊之教授が何処かの記事で述べていたことを思い出した。
『稀に見るモンスターサイコ麻原の脳を調べるべきだ』『データとして残すべきだ』というものだった。
私はその意見には強く共感した。カルト的なコミュニティが自然発生してしまう原因、集団心理に及ぼす、その影響と遺伝子間の相関関係。そのメカニズムは私達、人間自体の遺伝子にあると私自身が強く思っているからだ。

つまり無意識の中の遺伝子間の距離がサイコに惹かれる大きな原因になっている。と考える。
人間は原始的な脳に惹かれ易い弱点をもっているのだ。


前頭葉機能不全、または前頭葉が利かない。緩いというのは、人間よりやや原人寄りの脳機能を示し、具体的には攻撃的、破壊衝動を誘発し易い粗野、野蛮な言動になり易いという。
確かに麻原は若い時分から攻撃的な一面はあった事が分かっている。

そして何故通常の人間がサイコに惹かれ易いかと言えば、サイコには前頭葉による迷いが少ない分、余計な躊躇が無い事になる。
①つまりイケイケの行動原理を持つ以上、一見サイコにリーダーシップを人は感じ易く、錯覚し易いのだと考える。
②更に原始的な行動原理自体は我々人類自体が過去に数万年前に通って来た道である為、遺伝子自体が郷愁に近い、親近感を持ち易いのではないか?と考えている。だから惹かれ易い。
③サイコは人間に通常あるべき良心の呵責が無い。私的な私見を言わせてもらうと、その時点で既に種が違う生き物に相当すると考えている。
共和的ボノボの群れに獰猛なチンパンジーが一匹だけ居る様な。
つまり麻原から人間は同種に見えておらず、人間が人格を持ち、サイコがそれを持たなければ、共感しようにも出来ないのだ。
それがフラストレーションとなり、ある種のコンプレックスに近いジレンマになっているから、人間には攻撃的になり易い。
遺伝子が作り出す衝動である以上、現世人類自体に常に対抗意識があるのではないだろうか?


そして古から現代に至るまで、人間社会に多くのサイコが現れ、庶民を蹂躙し、耳や目を疑いたくなる様な残酷なる人災を量産して来た以上、その人間の弱点たる本質の答えを現代人たる我々はいい加減ハッキリ知るべきなのだ。

この遺伝子の距離が引き起こすサイコ問題に加減ピリオドをうって、『人間がサイコに操られ易い原因』更には『どんな条件が重なるから操られ易いのか?』『サイコの特異な認識の仕方の解析』『予防する為に社会が必要とすべき知識』などなど…脳科学の観点から真相を明らかにしてほしかったからだ。それには絶好の機会だったのに。

我々もモンスターサイコの死に胸を撫で下ろしている場合では無い。
実はカルト的な性質を持つ負のコミュニティなんていうのは、日常の我々の生活の中。そこら中に沢山存在するだから。
また年内にサイコが起こした事件を目の当たりにするだろう。
誰もが知り得る、麻原とオームという貴重なデータからその傾向を把握し、対策出来る様、結論を残すのが最も有益だった様に思うのだ。
我々はこの機会を境にようやく知られざる遺伝子の弱点の真理をデータとして残さねばならなかった筈なのに。
実は私の持論では、このくらいの事は国がガイドラインで示して当たり前だとすら感じている。

サイコを知るには学習が必要だからだ。サイコを何の予防線となる予備知識無しに把握するには、それ無しにはちょっと難しいだろう。

我々は一つ賢くなれる貴重な機会を逃した。
どの道、全ての社会政策は社会実験に過ぎないというのに…。