ヨハネ福音書一二章。
一粒の麦が地に落ちて無数の実を結ぶように、一人の犠牲によって多くの人が救われる。
by イエス=キリスト
人々のために進んで犠牲になること。また、その人やその行為
イエスの残したこの有名な語り。
しかしながら私は違和感を感じたのはアスペ故であろうか⁉️
麦は死んだとは言えないじゃない⁉️
寧ろ蘇っているじゃないですか⁉️
だって土の中の栄養を摂取して、水、太陽によりスクスク育ち、本来のあるべき姿に進化し、また子孫(一粒の麦)を残している訳だから。
その子孫ばかりは、その元々の麦とは言えないかも知れないけど、子を残せた以上は、立派に成育し、遺伝子としての仕事ばかりは全うしたと言えるんじゃないの⁉️
死んだ種子というのは、土の中においても芽も出さずに、そのまま堆肥化し、土に還った種子をいうのではないでしょうか⁉️
発芽出来て立派な大人に成長出来たんだから死んでないよ(笑)。
イエス様もそう簡単に死ぬという言葉を使わない方が良いと思っている。コレは殉教者に悪い死へのイマジネーションの連想という選択肢を植え付けかねないからだ。
多分イエス様は人間になれてから獲得した、共和本能からの創造性を広め、伝えたかったのだろうとは思うのだが、何も死ななくていいじゃないですか⁉️
だって物凄い天文学的な数字をクリアしてこの世に生を受けた人達ばかりなんですもの。
私が教祖だったら、私の教えの為に身体を張り、命を懸けて守り通せ…間違っても殉教を暗示させる様なニュアンスなんて含めないですよ。
そんな酷な事は言わないけどな…。
当時の時代背景もあったのでしょうが、少し私なりの感想を書かせて頂きました。
ならばどうあれと?の問いには…
上手く生き抜いて、社会の為に良い化学変化を残せたら、それは素晴らしいんじゃないんですかね⁉️
自己実現なんて言葉をよく使うけど、それも良い化学変化を示せなかったら本末転倒。
良い化学変化を残せるか否か。良い空即是色を示せたら幸いです。良い落とし所を示して行けたら良しとしませんか?だよね。
色んな異論は受け付けますので…