学問は元来、人を競い合わせて篩にかけ、拾い上げたり、蹴落としたり…そんな試す為の道具などではない。これがいけないのだ。全くもって不純。
試験などというモノを作ったが為に、結果、人は学問を忌み嫌い気持ちが離れてしまっているではないか。これが現実だよ。全くもって本末転倒。
私生活に生きていない永遠の真理など…。
もっと時に慈悲をもって、上手く諭しながら教えてやれないものだろうか?
解る…理解出来る事によりのめり込める様な楽しさを…。ココですよ。ココ大事なのはね!
人が学問を拠り所に出来たらホントに最高なのに。未だそこまでいっていない。
現実は試験という『ハードルをクリアすりゃいいんでしょ?ハイハイ!』という1つの壁の認識でしかない事により、気持ちが離れている。というのが実に残念な現状である。
西暦から2018年も経っても未だこんなだ…。
ならば何故にこう人はバカげたしょうもないバラエテイ番組がはやるのだろうか?
安易に達観出来るからなんだろう。好き勝手バカにしてりゃ良いんだからね。
そして学問が根付かない背景には、脳細胞を上手く賢くなれる様に促すというのは、意思の力もまた必要で、凄いエネルギー、カロリー集中力を必要とするからなんだろうな。
人類はそういうモノを実は好んでいない。