カラーの中に
時たま白黒が混ざる時代に生まれた
昭和40年の子
彼女がうちの隣に引っ越してきたのは
小学2年
雑草の中の天使たちと名付けた
お気に入りの1枚
小学5年
私は幼き頃より
いまだに
手足をニョキニョキ出しておりますがw
私は23で結婚し
地元を離れたので
隣の彼女とは
数年に一度程しか会わなくなった
今日彼女の事をここに残そうと
ブログを開いたら
「3年前の今日あなたが書いた記事です」
というのが出ていた
それは彼女と韓国旅行した記事だった
チマチョゴリは自分で選んだんだけど
この頭に乗せてるやつは施設の男性が手渡してくれて
彼女は
ちちだけ可愛いやつでズルいと
かなりしつこく言っていたっけw
彼女は正統派美人さん
かなりな珍道中だったけど
今となれば
付き合ってあげられて良かった
去年の11月
母親のMRIを撮るため帰省した時
コロナで
しばらく会ってなかった彼女に連絡し
幼馴染3人でご飯を食べた
そこで想像もしなかった告白を受けた
実は私4月に半年の余命宣告うけたの
もう会えないかもなって思ってたから
会えてよかった
と
この時
来年の3月
必ず京都に付き合ってもらうからね
と何度も何度も言いながら
彼女は元気に帰っていった
12月19日
LINEで
彼女からトンチンカンなお願いがきた
今思えば
多分、かなり辛かったのだろう
2月
突然彼女の名前が
オデコに飛んできた
あまりの衝撃で…
すぐにグループLINEで
みんな元気?
と送った
Sからは「元気だよ」
と即返事がきた
彼女から返信が無い
翌日にきたLINEは
彼女の言葉を娘が入力したものだった
彼女の声はとても弱々しく
重くてスマホも持てないと
自分が死んだら
ちちにLINEしてくれと
娘に言付けたと
京都行くんじゃないの?無理なの?
N子は十分頑張ってるし
そんな人に
頑張れって言っちゃいけないって
知ってるけど
私は言う!もう少し頑張れ
来週そっちに行くから!
コロナが
心配だというなら行かない
弱った姿を見られたくないと言うなら行かない
どうしてほしい?
嬉しい
もう一度会えるんだね
そう言って彼女は泣いていた
月曜の朝
東京に向かい
もう一人の幼馴染Sと合流して
彼女の元へ駆けつけた
すっかり痩せてしまった彼女
でも、しっかり会話ができる
12月に突然体調が悪くなって
モルヒネを使ったが
幻覚が見え余計に具合が悪くなり
中止した
医療麻薬の入っていない痛み止めと
睡眠剤、胃薬だけ服用していること
痛み止めは効かず
何処が痛いのかわからない
そこらじゅう痛い
何処でもいいから擦ってほしいと
Sと二人で2時間
そこらじゅう擦りまくった。
お腹は
妊娠6~7ヶ月程に腫れていた
3時間程一緒に過ごし
また来るからね
と言うと
写真を撮りたいという彼女
え!撮るん?と少し戸惑ったけど
本人が望むならOK
彼女は力強くピースした
隣にいるのは子供ではありません
同級生のSですw
木曜日
再び彼女を訪ねる
更に顔が痩せていて少し黄色い
確実に悪くなってるんだと実感した
私の顔を見るなり
今日は何しに来てくれたの?と彼女
何って(笑)
N子の顔見に来たに決まってるやん
あのね朝から40度で用意してある
はい?
2か月お風呂に入ってないから
どうしても入りたい
お湯に浸かりたい
えっとぉ
ん~~~と
よっしゃ入れたる!
なんの用意もしてきてないけどw
その場で
スパっとデニムを脱いで
さすがに真っ裸は寒いので
ブラトップにパンイチ姿
Sもそそくさと脱ぎだす
N子は自立どころか
座ることもできない
Sは身長150㎝
N子の娘も小柄だ
頑張るのは164㎝の私ですよね ハイ
マンションの小さなユニットバスだ
SとN娘を風呂場にスタンバイさせ
何があっても絶対落さないから
と言って
裸にした彼女を抱きかかえる
大人をお姫様抱っこするのは初だけど
42kgになった彼女でも
とても重かった
どうにか湯船に入れ
彼女が滑らないように
三人で体を支えた
何度も気持ちがいいと言いながら
見せたあの顔は忘れない
韓国アカスリのアノ硬いやつが好きな彼女
ちち アレで血が出る程
背中ガリガリやって
背中を洗ってるっていうより
洗濯板でアカスリを洗ってるようで
悲しかった
風邪ひいたら大変だし
そろそろいいかい?と
湯船から出そうと思ったら
え?
これ・・・どうやって出すんだ?
・・・・・・・
ここでこの言葉を使うのは
如何なものかと思うけど
死んだ気でやれ!
と育てられた私です
腰が折れようが彼女を出す!
出るんです
火事場の馬鹿力
あとは最後の踏ん張り
空気椅子で彼女を腿に乗せ
二人に拭いてもらいベッドへ運ぶ
着替えを済ませた彼女は
今日は少し眠れる気がする
と幸せそうな顔で笑った
金曜日 祝日
土曜日 腹水検査
日曜日の夜
彼女の娘と電話で話した
土曜日の検査結果や
N子が写真の整理や
片付けて欲しい物があると
言っていた事の打合せをし
月曜日
東京は雪予報だったので
火曜日に
写真の整理と片付けの予定を立てた
月曜日AM
実家の買い出しから戻り
携帯を見ると
3分前に着信あり
すぐに折り返すと
ちちさん
たった今
ママが息引き取りました
と娘が泣いていた
彼女は20年程前に離婚して
女手一つで
二人の子を育てた
娘とも数年間折り合いが悪く
悩んでる時期もあった
早くに実家の父親・兄を癌で亡くし
出勤前に実家に寄り母親の世話
1時間の昼休みに母の世話
自分は立ち食い
退社後、実家に寄りお世話
自宅⇔実家⇔職場と
数年間母親の介護もした
母親を見送った一年後
自分が余命宣告を受けた
癌家系だからと
毎年検査は欠かさなかった
母親を亡くした時
たった一度
検査をしなかった
そのせいだとは言わない
悲しすぎる
彼女が亡くなる一週間前
なんでこんな人生だったのかなぁ
せめて
あと5年くらい遊ばせてほしかったわ
と言った
2022年2月14日
彼女は綺麗な顔で旅立った
二日後
最期のお別れをしてきた
N子
また逢う日までバイバイだよ






