18の頃、渋谷の新聞販売店に新聞奨学生として上京していた。

その時店長をしていた方が、その年にオーナーとなり目黒のお店を任されていた。


渋谷の一年は仕事のハードさとしては濃厚だったが受験勉強は中々進まなかった。相談したのがそのオーナー。

翌年、僕はそのオーナーのお店にトレードして貰った。


目黒の閑静な住宅街。配達も渋谷程大変ではなく。

浪人2年目は僕も相当気合を入れていた。

一番に仕事スタートし、一番はやく配達を終えて帰り、代々木の予備校へ通った。

ほぼ一日も休まず。そして何とか大学も合格。

それを支えてくれたのがオーナー夫妻であった。

大学の途中で、葛飾にオーナーが異動し、その翌年、僕もまたトレード。

大学も卒業出来た。

バブル崩壊後で就職氷河期。オーナーは新聞販売店に快く入店させて貰った。

そのお店でキャリアを積み副店長、店長と務め、杉並に異動した時も頑張っていた。


僕自身もオーナーを目指していたが、お互い大きなボタンの掛け違えで、袂を分った。


数年間、塾の先生やマンション管理会社などに就職したが中々フィットせず、再び、新聞販売店のオーナーに相談し、新聞販売店に復帰した。

色々な仕事経験を活かし、再びオーナーを目指した。2000年初頭、新規のオーナーになる事は中々難しい状況だった。それでも4年程頑張ってみたが見通しが立たず断念した。16年前の事。


結果、リラクゼーションの仕事に就き、今に至れた事は僕にとっては幸福なことだと思う。


新聞では、配達や集金、人に配達を教えたり、また管理職も若くしてやらせて貰えたのは経験として今に生きている。


そのオーナーが昨年にお亡くなりになった事を最近知った。


お互い若く、色々ぶつかった事もあったが、お店の為に尽くした事は認めてくれていたと思う。


オーナー、色々お世話になりました。

遅くなりましたが、ご冥福をお祈り致します。