ちょうど、10年前の3月2日、長きに渡った放浪生活?から別れを告げ、リラクゼーションの日々をスタートさせました。


色々な職を転々とし、自分が何がしたいのか。問い続ける日々。

たまたま見つけた「整体師」。「独立開業」の言葉。


少ない退職金を半分投げ込んで、「整体学校」への入学。


全く先なんか見えなかった。

不器用な僕は、学校の先生には何度も何度も直されて。
同期のみんなと比べると明らかに下手くそだった。

学校とバイト。退職金も少しずつ目減りしていく。焦りの日々。

何とか形になった所で、学校からの紹介での就職。
経験者希望だったが、何故か採用してくれた。
時給800円からのスタート。

現場に立てば立つほど、己の未熟さが不安に変わる。
経験者希望のその店は、さらに別の技術修得を促す。
やってもやっても合格点が出ない。

心が蝕まれ、眠れなくなる。
その駅に向かうのが辛くなる。

とうとう「病院」へ。
先生に「辞めちゃえば」「そこで頑張る必要はないよ」
差し伸べられた手は温かかった。少しほっとした。

でも辞められなかった。

無駄な意地と
無駄なプライドと
迷惑かけた恩返しと
迷惑かけた罪悪感と

だから「安定剤」を貰い、食い縛った。

でも「心」が悲鳴をあげた。
前にも後ろにも動けなくなる。

たかが4ヶ月。
されど4ヶ月。
その店のオーナーには迷惑をかけた。
しかし、辞めなければ、二度と這い上がれない。

次に行った店も人とそりが合わず2ヶ月持たず。

生活を安定させるはずが、「整体師」そのものも「廃業」を余儀なくさせる事態。

今まで他の業種で積み上げたキャリアもプライドも意地も他人も自分も。
何もかもなくなっていた。
たかだか1年で。


そんな傷ついてズタズタな僕にも「認めてくれ」て使ってくれるバイト先のスーパーの「部署マネージャ」が唯一心の支えだった。彼は人生の恩人の一人であろう。
一時、整体から離脱した時もスーパーへ誘ってくれたり、働く意義や意味を再確認させて貰えた。
「必要とされる」有り難さを感じ、癒されて、徐々に自信を取り戻してくれた。


転機は「業務委託」

施術した売上だけが自分の給料。

何時間出勤しても、お客様を施術しなければ給料はゼロ。社保も給与保証もない。


まさに「自営業」
それこそ自分の求めていたものかもしれないと直感した。

下手くそなら下手くそなりの給料しかもらえない。
上手くなれば、お客様からより支持されれば売上は上がり、給料も上がる。

その「温浴施設」には、それがあった。

暇で寝てる人もいたり、外に食事に出たり。
時給でも月給でもない仕事に皆慣れていて「自由」だった。

まず土日だけの「登録」。スーパーのバイトと掛け持ち。
スーパーで接客の何たるかを改めて勉強し、「温浴施設」では「整体」をもう一度やり直した。掛け持つことで互いの仕事を客観視できるようにもなった。


「義務」でやる練習には意味がない。
「時給・月給」で時間を埋める為の「やらされる練習」に辟易していたが、大きな間違いであった。それがあの失敗に繋がっていた。

だから今度は「食う」為に「生きる」為に、必死で練習した。なりふり構わず練習した。
「やる」ことによって、徐々に結果も出始めてきた。

店舗に「解剖学」「生理学」「ツボ」の本を持ち込み、施術に不安を感じたら、何度も聞いた。
今までの手技に限界を感じたら、大幅に手技を変えて更に支持を獲得。

スーパーのバイトも3年かけて「卒業」した。惜しんで貰えた。マネージャには感謝しかない。