初渡米 in 1986 のつづきです。

ホノルルに到着。

初めて「アメリカ」の地を踏んだ。

午前7時前だというのに、湿気をたっぷり含んだ「生ぬるい」風を感じた。

「これがハワイか」

と思いながらも私は緊張していた。

バゲージの受け取り先を変更する手続きのことで、頭がいっぱいいっぱいになっていたからだ。

「ホノルルなら日本語が話せる人がいるのでは?」

と思い、近くにいる係員らしき人に尋ねてみた。

しばらくして日本人の女性が来てくれたので、事情を話して手続きを依頼すると

「しょうがないわね。」

と呆れた表情をあからさまに投げつける。

面倒くさそうに手続きをしてくれたあとで

「これでアメリカに来るんだから困ったものね。」

と一言残して去って行った。

私は更にBLUEになる。

しかし、不安がひとつ消えたので、ほんの少しだけホッとした。

気を取り直してホノルルを発ち、ロサンゼルスへ向かった。

到着は深夜だったと記憶している。

シカゴ行きまでのトランジットが3時間ほどあり、ロビーで時間をつぶすことにした。

すると中年のオジサンが隣に座っておもむろに宝石を見せ、安くするので買わないか・・・のようなことを言ってきたのでビビりあがり、席を立ってとりあえずトイレに逃 げ込んだ。

しかし、トイレではやたら背の高い兄ちゃん達が集団でごちゃごちゃしゃべっていて、そのうち私のほうに向って大声&早口で何やらまくし立ててきた。

何を言っているのか全く理解できないし、ここも安全な場ではないと察して再びロビーに戻る。

「さっきのオジサンがいたらどうしようか」

と不安だったが、もうそこにはいなかった。

胸をなでおろし、ウォークマン(もちろんカセットテープ)で音楽を聴きながら、なんとか気を紛らせて時間が経つのをひたすら待った。

そして、ようやくシカゴ行きに搭乗。

それまでと違ったのは、機内にはほとんど日本人がいなかったことだ。

当たり前だけど日本語のアナウンスはない。

機内で流れる映画にも字幕ない。

緊張&不安はどこまでも上昇し続ける。

疲れ切っていたけれど、全く眠れなかった。

グッタリしたままシカゴに到着したのは午前6時ごろだった。




まだ続きます。